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天恩寺2 今はもう額田郡じゃなくて岡崎市片寄町

天恩寺が足利尊氏の遺言で義満が創建したお寺だと知って、私は行ってみる事にしたのだが、行ってみると、ここにもまた家康公の足跡があった。このあいだの山中八幡といい、ここといい、「家康公、ホントに色々ありましたなぁ」と言ってあげたい。ここで見つけた家康公にまつわるものは、大杉の木。樹齢は450年位らしい。

大木

案内板

長篠城出陣の時に、家康公がこのお寺に立ち寄って戦勝祈願をしたそうだ。このお寺のご本尊は延命地蔵菩薩。ご祈願の帰り道、戦場に向かおうとしたところで、この大杉の影から賊が家康公に矢を射かけようとした。その時にご本尊さんが「家康、家康」と呼んで、家康公を振り向かせ、矢が放たれる前に、賊に気づくことができ、家康公は命拾いしたそうだ。で、家康公は馬上から、この大杉を振り返ったとある。

 

ウィキペディアで天恩寺の歴史を調べると、足利尊氏が1336年の矢作川の戦いで新田義貞に負けた後、この地に逃れてきて、ご本尊の延命地蔵菩薩に尊氏は戦勝祈願をし戦に勝利したらお寺を建てると約束したんだそうだ。その後、戦に勝っても約束を果たすことができなかったので、遺言を残して義満がこのお寺を建てたとある。「そうか、だからお寺の名前は天恩寺か。お天道様(神仏)、御恩に感謝しますって意味かなぁ?」なんて勝手な想像をする。考えてみると尊氏も家康公も祈願の御利益か、どちらも戦に何度も臨んで、色々あっても天寿を全うできた。だから、きっとご利益大なんじゃないかと思う。

江戸時代初期の石垣

 

 

この石垣はお城を守るような石垣ではなくて、もっと装飾的だ。結構素敵。石段をあがって行った先に、松の銘木もある。全体に、とっても立派なお寺。なかなか良い。

 

後日、ここのお寺が気にいった話をよく行く美容院の美容師さんにした。その時、私は町の名前を「かたよりちょう」と言った。すると、その人が「かたよせ」と言い直してくれた。「なんで、この町の正しい読み方を知っているのか?」と疑問に思っていたら、その人のお母さんの里が天恩寺のすぐ近くだそうで、子供の頃、このお寺の境内でよく遊んでいたと教えてくれた。

 

ご縁だなぁ〜と感じた。

 

author:1230fan, category:三河, 23:29
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