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知立 大あんまき

自分で買うような事はめったに無い上、わざわざ本店まで買いに出向いたのは生まれて初めてだと思う。子供の頃、本店の大あんまき機をガラス越しに見ていた記憶がある。その時は全自動じゃなかったような記憶だ。目の前に鉄板が4台位あって、奥に伸びていたような気がする。ガラス越しに生地に火が通って、気泡がプツプツと2,3個立つのが見え、その生地に、あんこが真ん中に横一文字で置かれた。で、少しして、あんこは生地に巻かれていった。焼き機のそばに、おじさんが立っていたような記憶がある。おじさんが何をしていたのかな。もしかしたら、生地を巻いていたかも知れない。けれど、残念ながらあまり記憶がない。記憶にあるのは、美味しそうな焼き色の生地にするっとあんこが巻かれていったのを眺めていた事だけ。

今回、他人様への手土産として、何十年ぶりに買いに行った。記憶の中の鉄板は無く、コンベアー式のあんまき焼き機が1台、右から左へ、あんまきを流すようにして焼いていた。あんまきは種類が増えていて驚いた。で、つい物珍しいのを1つ買ってしまった。

オレオ味のあんまき

これは自宅用に包んでもらった。

他人様には、あずき(黒いあんこ)、しろあん、チーズ&あんこ、カスタード&あんこの4種類2個づつを箱詰めしてもらった。ずっしり重かった。賞味期限が短いから、受け取った人達、期限内に食べることができただろうか?とちょっと心配。

こんな箱

これは自宅用の2個入りの箱

 

自宅用を先に家に置いて、他人様の御宅へ手土産用を持って出かけ、家に帰ってみると、買っておいた「あんまき」2個はもう影も形も無くなっていた。美味しいものは、誰が買ってきたかも尋ねられることなく、静かに当たり前に食べられてしまう。一口分取っておいてくれたら良いのに、、とちょっと思った。次は自分が戻るまで取られないよう隠しておこうと思う。

 

author:1230fan, category:西三河, 20:27
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東西交通の要衝 山中郷 岡崎

山中郷と言ったって、どこなの?って思いますよね。岡崎市史 中世を読み進めるなかで出てきた地名です。鎌倉期には額田郡の地頭の足利氏がここを管轄していたようだし、南北朝時代は幕府の御料所(直轄領)になっていた場所だそうです。本に載っていた地図で、「山中郷は本宿から藤川あたりの事を指すみたいだ」と確認。とりあえず行こうという気になりました。

この山中郷とかつて呼ばれた場所に以前から気になっていた場所が1つだけありました。本宿から1号線で藤川方向に運転する時に道路の左側に見えてくる赤い鳥居と背の高い大木、背後の森、どういう神社かは知らないけれど、目についていた場所でした。で、そこへ行ってみる事にしました。行ってみたら、面白い事にその神社の名前は「山中八幡宮」と言いました。「どんぴしゃ、山中だ!」と思いました。

この看板には家康公が三河一向一揆の時に、この八幡宮の敷地内にある穴に逃げ込んで難を逃れたとあります。私は南北朝時代の事が知りたかったので、家康公とのエピソードかとちょっと残念だったのですが、山中は山中だからヨシとする事にしました。

境内から見た赤い鳥居

大木は大きすぎて写真に収まりません。

この階段をあがって、お社にいきます。

お社は割合新しかったです。

一人で人気のない境内を歩き回って、家康公が一向一揆をやり過ごした穴を探すのが、なんだか怖くて、探さず帰ってきてしまいました。根性なしで、すいません。

 

本によると、この山中郷、山地の狭い谷状のところを街道が北西から南東に通っていて、う回路が無いので、軍勢は常にここを通って移動するしかない場所だったそうで、東西交通(鎌倉と京都間)の重要な場所で軍事的な重要地でもあったとか。そんな理由から南北朝時代の幕府は、この山中郷を御料所(直轄領)にしたのではないか?という事が本に書かれています。

 

う回路が無いなら、尊氏もここを歩いたり、馬に乗ったりして、鎌倉に行ったりしていたのかも知れないなと妄想してます。

 

 

 

author:1230fan, category:三河, 22:33
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豆餅と水ようかん 名古屋

久しぶりに土曜に名古屋に行く。「今日こそは、久しぶりに伏見のむらさきやさんに寄って、水ようかんを食べたい」と思って家を出た。地下鉄に乗り、もうすぐ伏見だという所に来て、「そういえば、この前は名古屋駅の一朶(いちだ)さんで、私の前の前の人で豆餅が完売して買えなかったな。あの豆餅も食べたいなぁ。今日もこの前と同じお昼過ぎだし、もう買えないかも知れないけど、どうしよう」と思いつく。結局、「豆餅、食べたい!」と、ダメもとで名古屋駅まで行き、一朶さんに行ってみた。私の前には、男性二人、どうやら一緒に和菓子をまとめ買いしたようだった。お店の人が確か「桃餅と豆餅と水ようかん」と言ったような、、なんにしても、私の目当ての豆餅は残っていた。ホッとして、「豆餅3個」と頼んだ。

ここの豆餅、豆がちょっと固めに炊いてあり、その塩加減も本当に良い塩梅。餅の部分もお餅っぽい弾力なんだ。結構食べ応えがあって、気に入っている。ここのポイントは、売り切れる前に手に入れられるかどうかだ。今日はラッキーだった。

次に名古屋駅から伏見駅に行く。むらさきやさんに入った。ここは店構えが小売りをしている感じじゃないので、最初入店するのはちょっと勇気がいったが、一度入ってしまえば、その後はなんてことはない。水ようかんは食べたいが、人にも食べさせたいと急に思い立って、結局、持ち帰り用に水ようかんを一竿買った。和菓子をここで食べて行きたかったので、磯まんじゅうという和菓子とお茶を注文した。

銘の磯まんじゅうの意味は分からないが、このまんじゅう、美味しかった。私の後に母娘のお客さんが来られ、水ようかんを食べておられた。お母さまの方が「おいしいねぇ」と仰っていた。内心、そうだろう、そうだろうと思って聞いていた。私は、むらさきやさんの水ようかんの食感が「つるん!」とした感じが好きだ。

水ようかんを一竿買うのは贅沢だ。けれど、自分が美味しいと思うものを誰かに薦めて、一緒に食べて「おいしいねぇ」と言えたら嬉しいので、奮発してみた。たまの事だし、良しとしよう。

 

 

author:1230fan, category:尾張, 22:00
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小牧の秋葉祭り と 小牧山

小牧駅に到着したのが夕方6時を少し過ぎた頃で、まだ夜というには早かった。西口を出て、目抜き通りに面した商業施設ラビオという場所を目指して進むまでの間にキッチンカーや露店がたくさん出ていて、結構な人もいた。目当ての秋葉祭りの山車は6時過ぎから、それぞれ自分の町を引き回され、7時半頃にラビオ前に集まるとチラシにあった。

「まだまだ時間はある」と思い、スピードワゴンの井戸田さんを遠目に見た後、私はラビオから先、小牧駅からどんどん離れていく方向に歩いてみた。何しろ、小牧駅前に来るのは初めてなので、何がどこにあるのか分かっていない。

「とりあえず、どこまでも、まっすぐでしょ」と歩く。すると、眼前にそれほど高くはない山が出てきた。

「この山はなんだ?この街なかに。」と思う。普通、なかなか街の中心近くに山は見ないので、妙に山に心惹かれて、歩を進めた。

先の方に黒いのような山。その上に城らしき建物。

すると、地元案内の看板が。

看板を見て、気になる山が小牧山だと分かった。「小牧山って、あの小牧山?」「信長とご縁のある山が、こんなに駅から近い所にあるのか」と驚く。そして、もう1つ、「メナード美術館」の看板。これにも驚く。今まで名前は知っていたが、名古屋にあると思い込んでいて、名古屋の一体どこにあるのか?と疑問に思ってきた美術館がこの町にあった。駅前通りの雰囲気からすると、たぶん、お祭り以外の日は静かな街なのではないかな?と想像したので、今度は木枯らしが吹く頃にやってこようかなと思う。

 

やっと目当ての山車が横道に引かれていくのを見つけた。で急いで、山車の前に回って、写真を撮った。

まだ暗くなる前

日が暮れると山車はこんな感じになった。

 

こんな感じで「いなせ」な兄さん達が恰好よかった。

 

本祭りは翌日の午前中だった。午前中に来れば、山車に乗せられているカラクリ人形がお囃子に合わせて動いたりするのが見れただろうが今回は根性が無かったので、それはまたいつかとする事にした。

 

このお祭りが私の今年最後の夏祭りだった。

 

 

 

author:1230fan, category:尾張, 22:00
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ラッキー踊る 小牧 令和夏祭り

小牧市のお祭りに行った。小牧と言ったら、セントレアの前の小牧空港(今は県営名古屋空港)しか知らない、というか行ったことは無かった。だから今日生まれて初めて名鉄小牧駅を利用した。駅は大きかった。駅の西口がお祭り会場に近い出口で、エスカレーターで上がり、駅を出てみると、大通りの先でお祭りの警備と露店(キッチンカーもいっぱい)が並んでいた。

なんでも平成から令和になっての最初のお祭りだという事で、去年までとは異なる趣向を練ったお祭りが企画されたんだそうだ。小牧市の市長さんが小牧PR大使のスピードワゴンの井戸田さんに、そんな事を話していた。

黄色の半被が市長さんで、たすきを掛けているのが井戸田さん

小牧の伝統的な秋葉祭りと市民の夏祭りを同日開催にして、秋葉祭りをより多くの市民に身近なものと感じて貰えるようにしたいとお話されていた。「そうなのか〜、秋葉祭りは人気があまり無かったのか」と、その時初めて知った。

7時頃だったか、このお立ち台に振付師のラッキー池田さんが立った。そして、通りに集まった人たちに振付を教え、通りを往復するように皆は踊っていた。この様子は、この前の「三好いいじゃん祭り」のような感じだが、小牧の踊りは、まだまだ踊りのイベントとしては成長過程にあるように感じた。

ラッキーは、昔と全然変わっていない。

全然老けていないんだ、なぜ?

いつも通り、頭に赤いゾウさんを乗せている。

 

なぜなら、見物人にお立ち台の司会者の方が「どうぞ今からでも一緒に踊りましょう」と声を掛けてくれる。けれど、そんな言われても恥ずかしい〜、照れちゃうんでね、踊りには加われなかった。ごめんなさい。踊り手を増やすにはグループでエントリーさせる三好のやり方の方が確実のような気がするけれど、小牧が独自に、どうお祭りを進化させていくのか、それを楽しみにしようと思う。

今夜、1番嬉しかったのはラッキー池田を久しぶりに見ることができたことだ。昔と全然変わっていなかった。それが妙に嬉しかった。ラッキーのあの赤いゾウのジョウロ帽を見ることができた事も嬉しかった。昔は、「そんなゾウを頭に載せて変だ」と思っていたが、今となっては、「赤いゾウのジョウロ帽をかぶっているのが、昔通りのラッキー池田だ」と思う訳で、自分も変わったもんだ。

さて、この後が私が楽しみにしていた「秋葉祭りの宵祭り」だ。

author:1230fan, category:尾張, 00:36
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みよし市 いいじゃん祭りと大提灯

みよし市は、2010年以前は西加茂郡三好町(みよしちょう)だった。子供時代、親に連れられて三好の夏祭り(大提灯)に来た事があった。その時の思い出は、境内に屋台がいっぱい出ていて、大勢の人でごった返していて、自分も何か買おうと思って、人込みをかき分けながら、りんご飴を買って、飴が誰にも引っつかないよう気にしながら、人込みから出てきたという思い出だ。以来、ずーっと行っていなかった。そして、今夜、数十年ぶりに行ってみた。屋台は昔通りなのか、それ以上なのか、ともかく一杯出ていた。昔の思い出は屋台巡りしか無く提灯を見たかどうか怪しかった。で、今夜まじまじ大提灯を見た。驚いた。大提灯と言ったって、ここまで大きくするか?という位、とんでもなく大きくて感動した。

稲荷社の隣の満福寺

日が落ちる前の大提灯。大きいんだ、とんでもなく

 

昔と違った事は他にもあった。「いいじゃん祭り」だ。大勢の人がいくつかのチームに分かれて、踊りを踊る。みなチームごとに衣装を揃えていた。踊りの音楽も昔の「炭坑節」のような盆踊りのリズムとは全然違った。どちらか言うと、DA PUMPのUSAを少しテンポダウンしたような今どきのリズムだった。けれど、その曲、三河弁の3つの語尾をひっつけた「じゃんだらりん」という曲名だった。ローカル色ありありの名前の割に、テンポが良くて老若男女ノリノリに乗れる音楽で、皆さん楽しそうに踊っていた。私の近くで見ていた人、多分今回たまたま踊っていないだけの人だろう、「じゃんだらりん」が聞こえてきたら、缶ビール片手に片足でステップを踏んでいた。「うん、分かるよ、その気持ち。踊ってる方が断然楽しいと思う」なんて思いながら、その人を見上げていた。

 

日が落ちてからのお稲荷さん

日が落ちてからの大提灯

 

踊りが始まったのが夕方6時半頃で15分置きに5分程度の休憩を入れながら、皆さんずーっと踊ってる。多分終わりが近くなった頃、私は帰ろうと立ち上がった。見物人が少なくなった折り返し地点に近い所で、シャボン玉がワァーと踊り手さんに流される場面に遭遇した。それが、とっても綺麗で、「こんな演出考えた人、凄い〜」とまた感激した。

サタデーナイトフィーバー!(古い言葉を持ち出して、すいません)

 

なかなか「いいじゃんか、みよし〜」と思ったお祭りだった。

 

author:1230fan, category:西三河, 01:00
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吉良町の幡頭神社

知多半島の羽豆神社に行った時、同じ読みでも字が違うハズ神社の事が頭にあった。今から2か月前の歴史教室でお仲間のお一人に知多半島の羽豆と吉良の幡豆とは同じ読みなのに字が違うという話をしたところ、その人が「ああそれはね」と言って、教えてくれた。その人は何かの機会に吉良町のハズ神社に行ったそうで、訪ねた時に「この神社は、幡を先頭に立って掲げていた人が祀られているから、ハズなんだ」と知ったらしい。で、その人は尊氏好きな私に「あああ、確か、このハズ神社に尊氏も来たらしいよ」と教えてくれた。

吉良にある地名の幡豆のズは豆なので、幡豆神社だと思い込んでいたが、じっくり見直すと、神社名は「幡頭神社」だった。謂われの通り幡を先頭で運んでいた人を祀ってあるんだと再認識した。神社は海に面した丘というのか、小山というのか、そんな見晴らしの良い処にある。

鳥居の中、拝殿に向かう参道。立派な黒松並木。

創建が702年とえらく古い。ヤマトタケルの幡頭(はたがしら)を勤めた建稲種尊(たけいなだねのみこと)をお祀りしている。そもそも幡頭が先で、あとから幡豆と書くようになったとあるのも頷ける。この看板には確かに足利尊氏も、今川義元も来たとあるけれど、「どうやってきたんだろう?」とフっと思い、瞬時に「船で来たんじゃないの?」と妄想。この場所の近くには「鳥羽」という地名の場所がある。地名研究をしている人から「鳥羽=渡場」という話も聞いたことがあるので、ここは、もしかしたら船移動の中継地点じゃないの?なんて妄想する。

この神社、訪ねてみると誰もいない。でもね、この神社、拝殿の後ろにある本殿がとんでもなく素晴らしい。

この屋根の曲がり具合、素晴らしい〜。桃山時代のもので重要文化財らしい。両脇の熊野神社と神明社も同じ時期のものらしい。どれも屋根がいいわぁ。

 

大昔の本当の事は、なかなか分からないけれど、尊氏や今川義元が神社の境内近くの高台で野営なんかして、休憩したかも知れないなんて空想するのは楽しい。それに、この屋根、絶対オススメ。そうそう周りに屋根好きがいないせいで、共感して貰えないけれど、良い屋根なんだ、ここは!

author:1230fan, category:三河, 21:30
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運河の街・半田・キャナルナイト

これは何なんだろう?カヌーの立ち漕ぎなんだろうか?こういう人達何人かが運河上を移動。前の晩とこの日の夜は半田でCanal Nightというイベントが開催された。オシャレな雰囲気がありそうな、このサマーフェスティバルのチラシを去年から見ていたので、一度はと思い、やってきた。夕方5時半頃到着。まだ日が高く、メインイベントの光の玉の投げ込みまで1時間半もある。さて、どうする!

特別、目当てもないし、予習もしていないので会場内を適当にウロチョロ。飲食のブースがいくつも出ていて、雰囲気はオシャレです。これが混む前です。

南側のスペース

インスタ映えな工夫あり

南側の「半六庭園」の会場に行くと運河に沿って、立ち飲みできるテーブルがいくつかあった。ここを陣取れば、そのうち日が落ちて光の玉が運河を流れゆくのを眺めながら、仲間とおしゃべりしながら、ビールを頂く事ができそうだ。なんだか恰好いい感じ。

ミツカンミュージアムの中庭のコンサートを楽しみ、「光の玉を貰い」に運河まで戻ってきたが、時すでに遅し。私は光の玉を貰い損ねた。夜7時になり、皆が光の玉を運河に投げ入れた。私はそれを少し離れたところから見ていた。

自分が光の玉を投げ入れない立場になって、周りを見ていると、多くの人は「光の玉を運河に投げ入れるのがメインイベントだった」らしく、玉を投げ入れると皆運河から離れていった。で、入れ替わりに私は前に出て、運河の水面を覗いた。光の玉はなかなか美しかった。この日、空には少し欠けた月が上がり、その傍には恒星と思われる星が一つあった。名古屋セントラル交響楽団の演奏する「Moon River」が鳴り響ていて、この風景とマッチするなぁと、しばらく運河と月を見ていた。

こういうイベントは自分にとって本当に久しぶりだった。じっとりする日本の夏の空気にオーケストラの生演奏やバンドの生歌が天井なしに響き渡るのって、なんて開放感に溢れているんだろう、なかなか良いと満喫できた。

author:1230fan, category:知多半島, 12:20
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トヨタ市 鞍ヶ池アートサロン

7月と8月初め、矢作ダムに行ってみようと試みたが、カーナビが山里のような小さな集落の片道しか通れない道を案内するので怖くなって行けず仕舞いで終了。家への帰り道はいつもカーナビ任せだ。すると、なぜか毎回違う道を通って帰って来ることになった。この前の道案内は去年出かけて行った豊田市の矢並湿原のそばの鞍ヶ池PAから高速に乗る道案内をしたので、鞍ヶ池に来たのだから、「鞍ヶ池アートサロン」に立ち寄ろうと思い立ち、カーナビの言うことは無視した。

鞍ヶ池公園は綺麗な芝生の丘や小さな動物園がある公園だ。私はここにあるトヨタ鞍ヶ池記念館の中にある鞍ヶ池アートサロンに時々来る。アートサロンは展示室が2つで、掛けられる絵画は大体20点。自分以外に見学者が誰もいなかったりする事が多い。見学料が無料でコレクションは本物だ。自分一人でタダで本物が見られるって、なんて贅沢な事だろうって思う。絵は確かトヨタ自動車の所蔵しているコレクションで、それが季節ごとのテーマで少しづつ変わるんだ。「トヨタさんはこっそりだけど本物をただで見せてくれる、太っ腹なオーナーだ」と毎回行くたびに思う。内心、宣伝なんかしなくて、このまま静かに独り占めできるアートサロンでいて欲しいと思っている。

 

実はこの記念館のメイン展示はトヨタ自動車の企業史の紹介だ。私はそちらの展示も、ある時、暇に任せて、じっくり全部見て回った。ケースに展示されている本の見開きページまで読んで、創業の頃の人たちが何を言っていたのか、まで見た。愉快だったのは、創業時の人達は学者さんに色々な教えを乞うのだけれど、その学者さん達が自分の理屈通りに実際には自分でモノづくりができないという事を発見しガッカリしたような気持ちを文章にしているのを見つけた時だ。あとは、展示室出口のテレビで創業時に喜一郎氏に直接接した人達のインタビュー動画を見る事ができるのが良い。どの人も会社の発展とともにトヨタ自動車を支える関連会社の経営者になった人達だが、不思議と今時のどこかの会社の偉い人達よりもずっと人間らしい顔をして創業時の苦労などを話す姿に好感が持てた。

 

トヨタ記念館の入口横

 

このトヨタ鞍ヶ池記念館の奥をずんずん歩き進んでいくと豊田喜一郎氏の邸宅が移築されている。見学無料だ。その邸宅も、とても良いんだ。一言で言うとメルヘンな感じの邸宅で、「こんな素敵なお家に住んでいる社長さんなら、素敵な車を作ってくれそうだ」と思えるようなお宅だ。まぁ夏は暑いから、邸宅を見に行くのは、今はお勧めしないけれど、一見することはお勧めしたい素敵なお宅なんだ。

 

author:1230fan, category:西三河, 22:17
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円頓寺商店街の七夕まつりにて

何年か前から名古屋の円頓寺商店街が雑誌などに取り上げられている。少し前まで、閑散としたアーケード街だったように思うが、今では昭和レトロなアーケード街として人の往来がある。今日は友人を連れて、七夕祭り最終日の円頓寺商店街を歩いた。友人がここにやってくるのは今日が初めてで、アーケード内の縁日っぽい風情を面白がっていた。

七夕飾りが風になびくアーケード

令和おじさんが!なんだか賞を貰ってる

「俺の股をくぐれ!じゃないと大泣きして困らせるぞ」と言っているのかな?

円頓寺商店街は大きな道路を渡っても、続く。

 

こちらの本町の方が昭和レトロ度は高かった。キョロキョロして歩いていくと、ありました、ありました、ここにも話題の人の七夕飾りが。。

フレディーの胸毛のモワっと感、「そんな感じ〜」って感じだった。

 

なかなかの人出だったけれど、夏祭り感は楽しめた。次はなんだろう、パリ祭かな。

 

author:1230fan, category:尾張, 22:21
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