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常滑 気になっていた和菓子屋さんで桜餅を買う

ずっと気になっていた和菓子屋さんがあった。私が常滑に行くのは、時たまの週末土曜だ。そのお店の前を朝8時30分頃通る。すると、いつもいつもお店の人がお店のガラス戸をピカピカに拭いている。寒い朝も必ずガラス戸をピカピカにしていて、通り過ぎる時、「ひんやりした朝だけど、清々しくて気持ち良い朝だな」と磨かれたガラス戸を見て思っていた。そして、いつかここで和菓子を買ってみたいと思っていた。

 

年末、常滑屋さんのランチについている和菓子がこのお店のものだと知った。一ひねりあったお饅頭だったので、「早く行かなきゃ」と思った。

お店の名前は「平八堂」さん。やっと入った。ケースの中に春を題材にした色々な和菓子があった。どれもこれも目移りした中で、一番驚いたのは「桜餅」だった。二種類の桜餅があった。1つは、よく知ってるピンク色の道明寺、もう1つは「これ、桜餅ですか?」という桜餅。その見たことが無かった桜餅についてお聞きすると、「関東風の桜餅ですよ」と言われた。

桜餅に「関西風」と「関東風」があるの?へぇぇ〜。なので、目新しい関東風の桜餅を2個も入れ、あれこれ和菓子を買った。

帰ってから「関東風桜餅」について調べた。水で溶いた小麦粉を薄くのばして焼いて、あんこを包んで桜の葉で巻いたものを長命寺桜餅というそうだ。桜餅は関東が発祥で、これが関西に伝わって、あのピンク色のもち米を蒸してあんこを包む道明寺桜餅に変化したらしい。そんな歴史があったとは面白い。みんな知っているのか?友人達に聞いてみることにする。

 

 

author:1230fan, category:知多半島, 21:44
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渥美半島 田原市 泉福寺(せんぷくじ)の森

渥美半島は菜の花とキャベツの季節だった。車窓から畑に青々したキャベツがたくさん植わっているのを見た。「渥美半島に来たぞ」という気持ちになる。泉福寺は渥美町(多分旧町名?)では最古の山寺らしい。創建は天平15年(743年)だそうだ。とんでもなく古い。境内には定光寺で見たのと同じチャートがあった。小型のチャートは昔は火打ち石として使われたと教わる。木々の様子はここが温暖な地であるせいか、定光寺よりもずっとワイルドな感じ。

天平年間からずっとお寺の敷地だったおかげで、森が大開発される事がなかった。だから、ここは愛知県で最も亜熱帯の香りがする森なんだそうだ。

これは、ツブラジイの木。枝の広がっている様子が凄いんだ。

これはイヌガシの、確かオスの花。赤いのに白いプチプチ。

 

森の道を上に向かって歩いていくと幅の狭い石の階段があり、上ると本堂だった。ほんと、山寺だ。どうして、大昔の人はこんな場所にお寺なんか建てたのだろう?飲み水が無ければ、生きていけないじゃないか?と思っていたら、本堂前に泉が湧き出る場所があった。「なるほど、これがあれば、生きていけたかも知れない」

岡崎市史(中世)を読んでいると、平安時代とか鎌倉時代などの古い時代に渥美半島には伊勢神宮関連の荘園があったらしいと書いてあり、もしかしたら、大昔、鳥羽から伊良湖に船で渡った人がこういう場所に暮らしたかも・・なんて事を妄想。森ばかり見ていたので、見逃してしまったが本堂の近くに中世墳墓もある。だから、やっぱり、大昔、結構大勢の誰かがここにいたんだ、と思う。

帰りに田原の道の駅でキャベツを3個も買う。1個60円〜100円。私の買ったのは1個80円のキャベツ。道の駅は朝も夕方も変わりなく流行っていた。

 

 

 

author:1230fan, category:東三河, 00:20
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名古屋 御器所(ごきそ)で「いだてん女子」見物

今日は「名古屋ウィメンズマラソン」。たまたま名古屋の荒畑に出かける用事があった。なので、「そうだ。ついでに、マラソンも見に行こう。福士が見たい」と思い立って、前日にコースを確認。ポイントごとの応援時間も確認して、いざ名古屋へ。応援場所は荒畑に近い御器所と決めた。到着したのは、午前10時25分頃だった。応援時間は10時15分からお昼12時半頃だったので、きっと福士選手を見られると勝手に思い込んでいた。

こんな感じで来た。けど、「あれれ?ウィメンズマラソンなのに、なんで男子がいるん?」と解せない。

「あれれ?男女が混じってる?福士はどこ?いつやってくるの?」

よく分からず、通り過ぎるランナーを見送る。だんだん集団が大きくなる。その場に立つこと、40分。結局、市民ランナーばかりで、目当ての「いだてん女子」は来なかった。「どうも来そうに無い」と感じて、ネットで目当ての選手達がもう35キロ地点にいることを知った。「もう通り過ぎた後だったんだね」と悟った。

ちかくのスタバの2階から

御器所から荒畑駅に向かう通り。通行規制で静かなもんだ。この後、荒畑駅近くの飲食店で御器所在住のお友達に会って詳しく聞いた。スタート9時10分。御器所を9時30分頃と10時頃、選手は走り去っていったのだそうだ。そうとも知らず、私は40分も。。

 

けれど、マラソンを見に名古屋に来るなんて事はやった事が無かったので、来てみて雰囲気を味わえただけで、とりあえず満足だった。来年はもう少し早起きして、「いだてん女子」を近くで見たいものだと思う。テレビも良いけど、現場に来て、空気感を味わうのも楽しいもんだ。

author:1230fan, category:尾張, 21:31
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瀬戸 定光寺公園と森の道

森の一生は800年。赤ん坊⇒小学校⇒中高⇒成人式(大人)なんて感じで私なりに表現すると、定光寺周辺の森は大人になった森、極相林と呼ばれる森なんだそうだ。どうして大人になれたのかと言うと、尾張徳川家の菩提寺として周辺の森が薪や炭焼き用に切り出されず、森の成長が邪魔される事がなかったからだそうだ。木の事を知らずにいると、森なんか季節ごとに木が色を変える事くらいしか分からない。でも、分かっている人が森を見ると森がどういう森として生きてきたか、これから、どんな風になっていくのか、その変化を想像できるらしい。

定光寺の自然歩道。森の中には小川が流れている。地面にはチャートと呼ばれる岩石がゴロゴロしている。チャートとは放散虫・海綿動物の微化石が堆積してできた岩石で、めちゃくちゃ硬いんだそうだ。近くで写真を撮るとこんな感じ。

定光寺公園は広い。背のウンと高いメタセコイアが植えられていた。

そして、公園の池にはマガモ、カイツブリ、、、なぜかヌーちゃん(ヌートリア)がいた。ヌーちゃんは歩道に無数に落ちているドングリを両手で拾って口に運んで、ガリガリ食していた。通りすがりの私達一行には、あまり興味が無いようで、平気の平左、マイペース、のんびり好きにやっていた。

のどかな、定光寺公園。

 

author:1230fan, category:尾張, 23:15
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瀬戸市 定光寺(じょうこうじ) 山門のプリンが気になる

定光寺公園を自然観察した後に定光寺(じょうこうじ)内の自然観察をするため、山門まで登った。ここは尾張藩の初代藩主義直公の廟所があるお寺。山門を目指して階段を上がっていくと、山門の両側に白いプリン型のオブジェが鎮座している。「なんだ?これ?」と瞬間思い、「そうだ、京都の上賀茂神社にある円錐形の砂に似てるなぁ」と思った。他の人は自然観察に心が行っているので、この白プリンをはて?と思って立ち止まる事はなかった。山門をくぐると、本堂である。看板があって、室町時代の創建で重要文化財とある。「やっぱりそうか。この屋根の隅の上がり具合は室町、中世建築っぽい」と見上げる。

他の人が境内の「むくろじ」を見るため、この本堂は素通りで階段を上がって行ってしまったので、慌ててついていく。

階段を上がって、横から見ると、上の写真のように屋根の裾というのが、隅が美しく上がっているのが、よく分かる。もうちょっとゆっくり見たかったが、みんな次の木を見にどんどん先に進んで行くので、付いていく。次は展望台だ。

展望台からは、山と山の間に名古屋駅の高層ビル郡がガスった空気の中にぼんやり見えた。天気の良い日は名古屋城もここから見えるそうだ。ご一緒した方が、ここは名古屋城から東北の位置、鬼門にあるから、尾張徳川家の廟所になったらしいと教えてくれた。

ここは自然観察も豊かな森のおかげで楽しいし、歴史的な建造物もあって面白いので、またゆっくり来たいと思う。

なお、山門にある巨大白プリンが気になったので、後でネットで調べると、この巨大プリンは「盛り塩」(漆喰で固めてあるが)で心身を清めて山門に入るために置いてあるんだそうだ。そっか、そうとは知らずに、「これはなんだろう?」に捕らわれたまま入門してしまった。

author:1230fan, category:尾張, 00:37
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豊田市 森にて地質について聞く

最近、森を学ぶ講座に行っている。「やってみたい事の1つ」が地元の小さな鎮守の森の木に名札をつけてみたい!だ。だから、木をぱっと見て、その種類が分かるようになりたい、そう思って講座を聞きに行っている。

その日の講座は木というより地質の話を聞いた。豊田市のある森に入った。その森は花崗岩域にある森で、花崗岩は雲母、長石、石英からなる硬い岩らしいが、地表に長く出ると分解して崩れやすいのだと聞いた。日本の六古窯は、こういう花崗岩域にあるそうだ。それは、この岩に含まれる長石が焼き物の原料になったからだそうだ。豊田の猿投も六古窯の1つで、大昔の焼き物を焼いていた場所だった。それはこの地質があったからこそなのだと聞き、「そうなのかぁ〜」と思った。

一緒に講座に参加した地元の人が、森のその土を見て、しきりに「サバツチ」と言う。どうやら地元では花崗岩が風化してできた砂状の土の事を「サバツチ」と言うらしい。一般には「まさつち」「まさど」と呼ばれているらしい。どちらにしても、土に疎い私にとっては耳新しい言葉だった。

その「サバツチ」を手に取ってみると、黒い雲母の破片が手についた。確かに崩れやすい砂状の土壌だと分かった。見学した森は人工林だったが、海外の木に押されて、その森の木はもう売り物にはならないと説明を受けた。そうか、それは切ない事だと感じた。

山の上の方にたどり着くと、そこには自分でも覚えられそうな木があった。樹皮に縦縞がある。これは「コナラ」だそうだ。

わたし的には、コナラ=エレキングの木という事で覚えておこうと思う。

 

 

author:1230fan, category:西三河, 22:44
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名古屋 平針 Delaファームのしだれ梅

桜も良いけど、梅は香りを楽しめるから、好きだ。花は派手ではないけれど、香りに招かれるようにして、梅の木に誘われるような事もある。今日は名古屋市天白区平針の農業試験場、delaファームに来てみた。ここは「枝垂れ梅」が有名で、花の盛りには大勢の人が来るそうだ。2月25日、花はまだ咲き始めだった。

 

中には、そこそこ花が咲いている梅があり、「枝垂れ梅って、梅のシャワーだな」と見上げる。全部花が開いたら、豪華なものだろうなぁと思う。たぶん、園内が華やかの極致になるのは2019年3月3日位かなと思う。その頃、また来るかな、と思う。

 

ここには初めて来たのだが、園内には温室があったり、牛舎があったりして、ほのぼのする。なかなか良い所だと思う。

温室で見つけた「大根足」、結構立派に育っている。こういう育て方が有りなら、畑に長靴の行進を作るのも面白いかも知れないとちょっと思う。

 

 

author:1230fan, category:尾張, 21:42
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愛知の国宝建造物は3つ 西尾市の金蓮寺

西尾市(旧幡豆郡吉良町)にある金蓮寺(こんれんじ)は国宝だ。けれど、おそらく一般人は誰も知らない。少なくとも自分の周りの三河人は「西尾に国宝なんてあるの?」と驚いていた。お寺に行くと、もっと驚く。

なぜなら、国宝なのに「券売所」や通せんぼするような塀もない。普通の、野ざらしの寺、どこにでもある寺だからだ。

訪ねて行った日、風が結構強かった。自分以外に誰もおらず、冷たい風がピュ〜と吹き付けるなか、この寺の軒下を歩き回って建物を間近に見ていた。「何が、どこが国宝なんだろう?よく分からない。でも、国宝だ。」

愛知には、これ以外に犬山城とその麓の有楽苑にある如庵が国宝だそうだ。この犬山の方はどちらも券売所とか塀とかある立派感の漂う国宝だ。なんで、この金蓮寺にはそれが無い。それが、とっても不思議な国宝だ。

author:1230fan, category:三河, 23:05
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尾張国府宮 はだか祭

2019年2月17日(日)、国府宮祭り。生まれて初めてやってきた。稲沢ってどこぉ〜?国府宮って遠いんでしょと思い込んで生きてきたが、最寄り駅から名鉄電車に乗ると1時間位で到着。想像していたより、ずっと近い。

ちょっとばかり地元の歴史を勉強したおかげで「国府」とあると、「あああ〜国府(こくふ)だったんだね、きっと」と考える。たぶん中世の頃まで尾張の国の国府があったのは、この稲沢の国府宮神社あたりなんだろうなぁって思った。「そもそもの尾張だ。味わおう」と思った。

名鉄「国府宮」駅を降りると、たくさんの人が露店が並ぶ参道を歩いていく。私は皆の後を追うようにしてお社に到着。

やってきた時間は大体午後1時過ぎだ。結構人がいた。神男が登場するのは午後3時で裸男が境内に入ってくるは4時位らしかった。私はさてどこにいたら祭りの醍醐味が味わえるのかと考え、神男が引き込まれるナオイ殿の傍に立つ事にした。見物人の柵の2列目に立ったのが午後1時半。そこから神男がもみくちゃになってナオイ殿に引っ張り込まれる午後5時45分頃まで、ずっと立ち尽くす。正直、午後3時以降はどんどんどんどん背後に人が増えて、出たくても出られない状態になっていた。

裸男の中には気のいい人がいて、見物人に声をかけてくれた。最前列の結構な名古屋弁を話す威勢の良いご婦人が「ちょっと、兄ちゃん、きれ、頂戴」と積極的に手を伸ばすので、私も後ろから、おこぼれに預かろうと手を伸ばした。裸男から貰う晒を割いた色とりどりの布は「なおいぎれ」と言って、厄除けのお守りなんだそうだ。1年身に着けておくと災難に見舞われないんだとか。

 

私にとって新鮮だった事は、尾張の色々な町の男性達が「町名の入ったのぼり」を立てて、本殿に「なおい笹」を奉納する様子だった。遠目に見ていたが、「のぼり」の町名が本当に尾張の町名ばかりだった事が、三河に暮らす自分には、やたらと目新しかった。

去年の今日は岡崎の滝山寺の鬼祭り、それは火祭りだった。対して、国府宮の裸祭は神男から裸男を遠ざるのに水を使うお祭り。滝山寺が煩悩を火で焼く祭りだとしたら、国府宮は神様に近づくには徹底的に水で身を清めなはれって感じのお祭りかな。対象的で面白かった。

裸男曰く「去年はぬくとかった」「風がどえらい、寒いがや」

author:1230fan, category:尾張, 23:12
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名古屋 変化していくから写真を撮ろう

一昨年の天皇陛下のお言葉から、なんだか色々な方面で、それまで当たり前だった事、モノが変化していく話を耳にし始めたような気がする。おかげで、変化イコール様子を変えるだけ、変化イコール当たり前が終わりになるが頭の中でごちゃごちゃだ。

で、先日、名古屋栄に行った折、そうそうテレビ塔と中日ビルは変化するんだったなぁと写真を撮った。今までの当たり前が当たり前じゃなくなってしまうので淋しい。そんな気持ちからだ。

テレビ塔がどう変化するんだったかなぁは、さっき調べた。良かった。耐震工事だけで2020年にまた営業する。たぶん、形は変わらないだろう。で、中日ビル。

これは、2024年に新しいビルになるそうだ。形は新しくなるんだろうなぁと思うが、ともかく無くなる事はない。良かった。

中日ビルには2つの思い出がある。

ビル内の中日文化センターに20年位前、毎週通った。習い事の後、必ずビル内の喫茶店でお茶をした。ある時、最上階の飲食店に先生や仲間と一緒に行った事があった。写真の屋上の丸い建屋だ。ここは窓に面した外径部分の床がゆっくり回転する店だった。(当時は、いわゆる回転レストランだった) そうとは知らず連れて行かれた。エレベーターを下りると、店の出入り口があった。

見ると、その出入り口の真ん前の長椅子に人が寝かされ、介抱されていた。先生は私を見て笑った。「次は、あなたかもね」と楽し気に言った。瞬間「まずい」「酔うかも知れない」と思った。で、「絶対、窓側の席は嫌だ」と大人げなく言い張って先生や仲間を困らせた記憶がある。それが私の中日ビルとの1つ目の思い出だ。

もう一つは2007年の中日ドラゴンズがシリーズ優勝した時に大群衆に交じってパレードする落合監督や選手のオープンカーが中日ビルに向かって進んで行くのを見送ったという思い出だ。あの時は大群衆が中日ビル前の久屋大通公園に集まって、凄かった。きっと中日ビルからの眺めは壮観だったろうなぁと思い出す。

新しいビルはどんなビルだろう。ちょっと昭和な、面白い飲食店が次のビルにできるのかな?仕方ないけど、あんまり洗練されすぎた、ムダの無いビルは「らしくない」んだよなぁって、ちょっと思う。

新しいビルになったら、また優勝パレードを見に栄に行きたいもんだ!

 

author:1230fan, category:尾張, 21:35
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