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蒲郡 竹島 宇賀神と藤原俊成

久しぶりに蒲郡に行った。竹島の八百富(やおとみ)神社をお参りした。

竹島駐車場から見える桟橋と竹島

桟橋そばの遊歩道

 

竹島は島自体が国の天然記念物だ。これまでにも何度か来ている。境内にはいくつかの神様が祀られているが、「どういう神様ですか?」とか「なぜ貴方がここにいるのですか?」と疑問に思ってきたお社には今まで素通りしてきた。それが、このチョロ活の中で「貴方はそういう神様でしたか」と分かった神様がいたので、今回は「今まで失礼しました」とご挨拶しに来た。

その「どこぞの神様と思ってきた」のは「宇賀神(うがしん)」さん。食物の神様だと案内板にある。これだとピンと来ないんだが、円空仏を荒子観音さんに見に行った時にボランティアのおじさんが「宇賀神というのは、弁天様が白蛇に姿を変えた神様だ」と教えてくれたので、「そういう事か、八百富神社には弁天様が祀られているから、この宇賀神は形を変えた弁天様なんだね」と腹落ちし、今回は気持ちを新たにお参りできた。

宇賀神

千歳神社。藤原俊成をお祀りしている。

次に今までずーっと「なんで、ここに藤原俊成がおるの?意味分からん」と思って素通りしてきた千歳神社。どうして蒲郡に京都の貴族が祀らてるのか、超疑問ですよね。これも岡崎市史を読んでいたら、分かった。祀られている俊成(藤原顕広)は1145年から1149年まで三河守をしていたんだそうだ。八百富神社のパンフにも、俊成の着任期間に当時の竹谷・蒲形の荘園開発を行って、その時に竹島に弁天様を勧請したとある。パンフだけだと、心のどこかで「それって伝説だよね?」って思うところがあったが、歴史書にも同じ事が出てくると「伝説じゃなくて事実なんだ」と納得する。疑り深くてごめんなさいでした。中世史を読むと、武士が出てくる前の時代は京都の貴族が自ら各地の荘園を時々訪ねたようにもあったので、「俊成、もしかして、ここに来たのかな?」と妄想して、今回は手を合わせた。

桟橋近くの俊成像

八大龍神社を下った竜神の松から見える海

訪ねたこの日は令和天皇の即位式の日だった。

早朝の雨が止み、良いお天気だった。

 

author:1230fan, category:東三河, 12:28
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不乗森神社って何と読む?安城市里町

以前行った安城市里町の花の滝跡の近くにある「不乗森神社」に行った。花の滝も、この不乗森神社も、鎌倉街道に面していたとの事で興味を持っていた。この神社の名前、勝手に「ふのりじんじゃ」と呼んでいたが、正しくは「のらずのもりじんじゃ」と言うそうだ。なんでも鎌倉街道を人が通っていた頃、うっそうとした森を行く旅人が道中何事もないよう、馬を降りて、この神社に祈願して旅を続けたところから、「(馬に)不乗森(のらずのもり)」という名前になったとか。神社に入る前にこの里町の史跡地図があり、まじまじと見る。結構興味深いのだ。

 

不乗森神社を中心に切り取り

この地図を見ると「鎌倉街道」と「江戸期の鎌倉街道」の2つがある事が分かる。微妙に違うコースだ。1つじゃなかったんだと驚いた。境内に入ると「見ざる、言わざる、聞かざる」がいた。日光じゃないのに、なんで三猿がいるんだ?と思う。

参拝所の両脇にも猿がいた。大きいの2頭と、ぶら下がりの可愛い小さいのが4頭いた。

ぶらさがり

神猿を「まさる」というそうだ。魔、去るらしい。

この由緒に神社それぞれに神様のお使いの動物がある事が書いてあり、この日吉山王宮不乗森神社は猿だとある。神の使いの猿を「マサル」と言って、近寄ってきた悪魔を退散させる力があるんだそうだ。それだから、旅の道中の無事を祈る旅人が馬から降りてでも、お願いするんだろうなぁとちょっと納得だ。

本殿はかなり品が良い。大きな木もあって、周りの森は昔このあたりに「鬱蒼とした森」だったかもと思わせるような風情がある。

そうだ、これからサル年の年賀状には猿の絵の横に大きく「マサル!」と書くとしよう。なんで俺の名前書くの?と思う相手もチラホラいるが、次の話のネタになる。

author:1230fan, category:西三河, 18:07
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長久手アートフェス

愛知トリエンナーレが世間で話題にされるこの頃だが、この時期、知らないだけで色々な街でアートをテーマにした町イベントがあるようだ。今日は昨日見つけた長久手アートフェスに行ってみた。メイン会場はお休みだったが、普段なかなか行かない場所に行くきっかけとしては良い。カーナビ頼みだ。途中、愛・地球博記念公園を遠目に見る。そういえば、地球博の時は八草駅に来たなぁと通りすがりに思う。長久手アートフェスがいかなるものか全然知らずに、アート作品が飾られているカフェや施設を事前に調べ、ちょっと見てみようと思う場所へ出かけてみた。

途中に見た看板「古戦場通り」とある。

古戦場だけでなく、何気に「首塚」を案内する看板が幹線道路沿いに立っている。さすが、長久手という感じだ。

最初に訪ねた施設で見たアートは、どこにアート作品があるのか分からず、キョロキョロした。ネットに「見上げたところにある」とあったので、「これか」と見つけた。私以外に見る人はいなかった。

次にあるカフェが気になって、車を走らせた。「ここの住所のはずだけど」と住宅街を行く。カーナビの示した場所は「まさか、ここ?違うよね」的な雰囲気の、閉店と思われるカフェがあり、車を止めるのも変な気がして行き過ぎてしまった。写真のイメージに素敵だと妄想してしまったが、どうもイメージとは違ったみたいだ。

さて、「もう どうしよう。手ぶらで帰るか」とぶらつく。町は名古屋に近いこと、大学をたくさん誘致している事、リニモが通っていて、その駅名がいまどきでオシャレ、全体に清潔で、背の高い頑丈なマンションが結構あって、新しい町かと思えば、幹線道路沿いに畑なんかもまだあって、まだまだ発展途中の街という感じがした。

「お茶くらいしよう」とオシャレな感じの名前の喫茶店に入った。すると、ネットで紹介していた作品を飾る店だった。意外に作品がカフェになじんでいて、カフェにいる御客さんは、その絵がアートフェスの作品なんて事には全く気づいていない感じだった。

左奥は紹介されていた作品の一部だと思う。

ブラウニーはカフェの作品

私はそういう物があるから、この街に来たんだが、地元の人にしてみれば、物珍しがって見るほどでもない感じで、普通の生活があるだけだった。これはこれで良いんだろうなぁ、と思いつつ、馴染み過ぎたら、アートは話題にはならないかも知れないなんて事を思った。

 

 

author:1230fan, category:尾張, 21:15
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「じゃんねぇ」の男

今年のNHKの大河ドラマ「いだてん」は始まった頃、人気が無いと言われていた。今はどうなのか、全然聞こえてこないが、私は久しぶりにこの大河ドラマを楽しんでいる。横尾忠則さんの絵も好きだし、ドラマも面白いと思っている。歴史ものの大河も嫌いじゃないけれど、徳川家康とか秀吉とか信長とか、何度も色々な形で出てくる歴史上の人物はどう描かれようが知っている気がして、もういいかぁと思ったりして、ちょっと毛色が違う今のドラマが好きだ。

中でも少し前から主役になっている阿部サダヲさんが面白くて仕方がない。阿部サダヲさんの扮する、浜松出身の田畑政治の使う言葉の語尾「●●じゃんねぇ〜」、これが西三河でも話されている方言そのものじゃんかと思いながら見ている。

調べると、浜松弁というのは無くて、その地域の方言は遠州弁というらしい。番組を見る時、字幕を出して「じゃんねぇ」が出てくるのを「あ!また出てきた!」と楽しんでいる。初めて、阿部サダヲさんが「じゃんねぇ」を使った時、そんな勢い込んで「じゃんねぇ」なんて言ってないじゃんねぇ〜と家族の前で言ったら、「言っとる」と一言で切り捨てられた。

 

たまたま西三河弁と同じ方言を、客観的な立場になって聞いてみると、案外「じゃんねぇ」は自己主張とノリを作る言葉だと感じた。今日も知らずに自分の言葉の語尾に「じゃんねぇ」が付く。そんなに言ってるつもり無いじゃんねぇ〜と思いつつ、言っとるじゃんねぇと小さく独り言。

author:1230fan, category:西三河, 22:24
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名古屋 栄三越とカトレヤ

少し前に名古屋栄三越が何年か先に高層ビルに建て替えられるというニュースを耳にした。中日ビルの次は、三越かと思った。けれど、やっと建て替えかとも思った。正直、三越の建物は今の時代にしては天井が低いのだ。名駅(めいえき)の高島屋並に天井が高い方が人が来るとずっと思っていたんだ。

高島屋が出来る前、栄が賑わいの中心のような街だったのに、高島屋が名駅で集客するようになったら、どんどん人が名駅に行き、栄に以前ほどには人が集まらなくなった。街は変化するんだ。

遠目に三越

ちょっと近づいて三越

 

たまたま最近、人生の先輩と「栄三越建て替え」についてしゃべっていた時に驚いた事があった。その人は、栄三越を「あああ、あそこね、昔はオリエンタル中村百貨店だったよ」と言った。私は「え?そうなんですか?」「知りませんでした」と答えた。私はその人が知っている「オリエンタル中村百貨店」を知らない。今の三越以前に、あのビルにそんな歴史があった事を私は初めて知った。街は変化してきたんだと思った。

丸栄だった所、今、工事中

キンサン(夜の賑わいの街、今もか?)

 

今日の新聞で、かつての松坂屋の「カトレヤミュージック」というラジオ番組が「大人のカトレヤミュージック」になって、深夜に復活するという記事を見た。「懐かしい、カトレヤミュージックか!」と思った。昔は特に聞こうとして聞いていた番組ではなかったが、お昼の12時半からやっていて、聞く機会があり、知っていた。いつのまにかAMラジオは聞かなくなって、その番組がいつ終わったのかも知らなかったが、復活を知り、ノスタルジーというのかな、懐かしい気持ちになった。

 

栄三越が高層ビルに生まれ変わる頃、名駅から、また栄に人の流れを取り戻すのか?さて、どうなるのか楽しみだ。

 

 

author:1230fan, category:尾張, 23:38
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綺麗だった半田の彼岸花

ずっと行きたかった半田の彼岸花の川べりに行った。ちょっと前に行った時は花がまだ無かった。あれから、9日経過。お花はすでに盛りを超えたものも結構あった。けれど、とっても綺麗だった。川を行って帰ってくるまで、およそ1時間、彼岸花をずーっと楽しませて頂いた。

秋って感じですよね。ごんぎつねの里です。

矢勝川に沿って

白い彼岸花もいます!

黄色の彼岸花もあるんですね!

マリーゴールド、千日紅の向こうに彼岸花

 

遊歩道から権現山方向に田んぼが広がり、丁度稲刈りをしていた。今年はまだ気温が28度、秋とは思えない気候だけれど、彼岸花に稲刈りを見、そして、「ごんぎつね」なんて連想をすると、やっぱり秋だなぁと思えてしまう。

この川べりを彼岸花で一杯にしようと思いついた方、ありがとう。そして、お見事と言いたい。

 

author:1230fan, category:知多半島, 23:40
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半田の赤レンガと生せんべいの田中屋

その日は友人と半田の新見南吉記念館前の「彼岸花」を見に出かけた。しかし、どう見ても、いつも赤く染まる畦道のような所は緑色だった。けれど、「やってきたのだから」と駐車場に車を入れる。車を停めた瞬間に窓の外に駐車場のおじさんが立っていた。代金500円を出そうと窓を開けると、「まだ全然花が咲いてないけど、いいかい?」と言った。私の前のお客に花も咲いてないのに駐車料金を取るなんてと怒られたんだそうだ。で、「だったら、来週また来ます」と言って、私達はそこを後にした。「気の良いおじさん」だった。で、次に半田の赤レンガに行った。有名だけれど、行った事はなかった。

素敵な建物

 

中の様子

壁の穴は戦時中の銃弾の痕

イギリスか?

 

いやいや実施設計は日本人 妻木頼黄氏

(この方、若い時の写真はかなりのイケメンです)

(横浜の赤レンガ倉庫も設計しています)

当時の中埜酢店4代目の中埜又左衛門氏と敷島製パンの森田善平氏で創業された丸三ビール、のちのカブトビールがここで作られました。本格的なビール作りのためにドイツ人技師を迎えられたそうです。

 

復刻したカブトビールを売っていたので買ってこれば良かったかなぁと少し反省。あと、めっけもんは、この近くに「生せんべい」の総本家田中屋さんがあった事。ういろを板状にした感じの「生せんべい」、子供の頃、祖父母が何か特別な機会には食べていたような記憶があり、懐かしい味のお菓子。ホームページを見ると徳川家康公に献上したような事が書いてある。そんなに古いのか?と驚いてしまった。

 

 

author:1230fan, category:知多半島, 21:27
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屋根が新しくなった信光明寺 岡崎市

この4月に屋根の保存修理作業を見学するために岡崎市の岩津にある「信光明寺」に行った。その時の屋根の修理は令和元年8月に終了すると見学の時に貰ったパンフレットにあったが、新聞には修理完了の知らせが無かったように思う。

4月の半ばの見学会。屋根は見えない。

 

で、完成した屋根を見に行くことにした。見学の時に目にした修復中の屋根は美しいこけら葺きで、こけら板は剥かれたばっかりの感じで白かった。「修理が完了したばかりの屋根は白いのかな?」と思って、行ってみると、違った。

白くはないけど、形はやっぱり美しい。

 

屋根の隅っこの上がり方、ほれぼれする。

沿革をこの時初めて読んだ。すると面白い。天正年間に武田信玄の家来だった伊勢新九郎(のちの北条早雲)が信光明寺にやってきて、御寺に火をつけたとある。その時、芭蕉天神とあるこの観音堂は焼けずに済んだので今も残っていて、重要文化財になっているんだそうだ。沿革の看板を読みながら、もしかしたら、この場所に北条早雲が立っていたのかも知れないと妄想に耽る。それにしてもだ、戦国時代の信長も早雲も火付けなんて、今の時代なら、とんでもない、、なんて思う。

 

4月の見学会の時、ご住職から、この観音堂にどうして芭蕉天神という名称がついているのか?というお話と近くにある岩津天神の建てられた経緯をお聞きした。なんでも岩津天神は、この信光明寺の和尚の夢枕に天神さんが出てきて、山の上の方に行きたいと言われたので、お告げの通りに御寺を建てた、それが岩津天神さんだそうだ。

この二つのお寺の関係がよく分かっていなかったが、今回訪ねてみて、信光明寺と岩津天神は東名高速道路で分断されている。信光明寺のすぐ横を東名高速道路が走っている。だから、二つのお寺が昔は1つの寺領内にあったと言われても納得した。

ちなみに信光明寺に入っていく道は結構暗くて、狭くて、ドキドキします。で、進んでみると御寺の前の駐車場は車2台分しかないです。でも、観音堂は素晴らしく美しいので是非見に行ってみてください。

 

author:1230fan, category:三河, 22:38
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天恩寺2 今はもう額田郡じゃなくて岡崎市片寄町

天恩寺が足利尊氏の遺言で義満が創建したお寺だと知って、私は行ってみる事にしたのだが、行ってみると、ここにもまた家康公の足跡があった。このあいだの山中八幡といい、ここといい、「家康公、ホントに色々ありましたなぁ」と言ってあげたい。ここで見つけた家康公にまつわるものは、大杉の木。樹齢は450年位らしい。

大木

案内板

長篠城出陣の時に、家康公がこのお寺に立ち寄って戦勝祈願をしたそうだ。このお寺のご本尊は延命地蔵菩薩。ご祈願の帰り道、戦場に向かおうとしたところで、この大杉の影から賊が家康公に矢を射かけようとした。その時にご本尊さんが「家康、家康」と呼んで、家康公を振り向かせ、矢が放たれる前に、賊に気づくことができ、家康公は命拾いしたそうだ。で、家康公は馬上から、この大杉を振り返ったとある。

 

ウィキペディアで天恩寺の歴史を調べると、足利尊氏が1336年の矢作川の戦いで新田義貞に負けた後、この地に逃れてきて、ご本尊の延命地蔵菩薩に尊氏は戦勝祈願をし戦に勝利したらお寺を建てると約束したんだそうだ。その後、戦に勝っても約束を果たすことができなかったので、遺言を残して義満がこのお寺を建てたとある。「そうか、だからお寺の名前は天恩寺か。お天道様(神仏)、御恩に感謝しますって意味かなぁ?」なんて勝手な想像をする。考えてみると尊氏も家康公も祈願の御利益か、どちらも戦に何度も臨んで、色々あっても天寿を全うできた。だから、きっとご利益大なんじゃないかと思う。

江戸時代初期の石垣

 

 

この石垣はお城を守るような石垣ではなくて、もっと装飾的だ。結構素敵。石段をあがって行った先に、松の銘木もある。全体に、とっても立派なお寺。なかなか良い。

 

後日、ここのお寺が気にいった話をよく行く美容院の美容師さんにした。その時、私は町の名前を「かたよりちょう」と言った。すると、その人が「かたよせ」と言い直してくれた。「なんで、この町の正しい読み方を知っているのか?」と疑問に思っていたら、その人のお母さんの里が天恩寺のすぐ近くだそうで、子供の頃、このお寺の境内でよく遊んでいたと教えてくれた。

 

ご縁だなぁ〜と感じた。

 

author:1230fan, category:三河, 23:29
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ぬかたの里の天恩寺1

足利尊氏がこの地にいた事に少しでも繋がりたいと思い、今度は尊氏の遺言で足利義満が創建したらしいという話のお寺に行ってみた。その御寺の名前は天恩寺。かつて額田郡と呼ばれた地にある。大ざっぱに言うと、岡崎市の中心地から東の本宿方向にある。けれど、一号線に近い本宿よりも、少し北側、山の方にある御寺。とても、のどかな場所にある。御寺の駐車場は通りに面して、広く取ってあり、そこに大きな「ぬかたの里」の観光案内図があった。

駐車場から少し歩いて御寺に向かう

岡崎市の文化財という折り畳み式のパンフレットを見ていた。そこには「仏殿と山門が室町時代の建造」とあった。

室町時代か、建物の屋根の四隅の上がり方を見るのが楽しみだ〜と思った。

石段をあがり、右方向に御寺の入口がある

案内板

 

これが仏殿。屋根の四隅の上がり方が素晴らしい

これは隣の方丈の縁側から取りました。

またまた思ってしまった。「良い屋根だぁ〜」と。

四隅の上がり具合は、なんとなく鶴翼なんだよね、鶴が翼を広げて今飛び立つという時の形。私は屋根の形がどうしてこうなのか、全然所以も根拠も知らないけれど、鶴は長寿を寿ぐおめでたい動物だし、今にも飛び立つという形なら、「長くご繁栄あれ」的な気持ちを屋根で表現しているんじゃないのか?って、勝手に妄想する。

うん、ホント良い屋根だ。

ひとつウカツだったのは、室町時代の建造物の山門、これがどれだか正しく知らずにいた事だ。てっきり御寺の入り口にあった門だと思っていたが、正しくは仏殿の隣にある建物(方丈)の入口にある門がそれだった。確かに形は断然、本物のが良い。けれど、新しい感じがして、それが室町時代のものとは思わなかった。で、古びた入口の門を「室町時代の門」だと思い込んで写真をパチパチ取り、本物の写真はまったく取らなかった。ホント、見る目の無い奴。。大反省。

 

この御寺、このほかにも、なかなか良いものがあったので、次はそれをご紹介します。

帰り道で見かけたアゲハチョウ

 

 

author:1230fan, category:三河, 22:25
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