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知多半島ではなくて、知多市の歴史

コロナの自宅待機の規制は多少緩和されたが、まだ世の中はコロナにご用心と警告してくれている。そんな中、選んだ行先は知多市歴史民俗博物館。ネット検索した時「知多半島 歴史資料館」をキーワードに検索していたので、たどり着いた先に「知多市歴史民俗博物館」とあるのを見た時には、「あれ?知多半島全体の歴史博物館にやって来たつもりだったのに、知多市の歴史博物館に自分は来たのか」とちょっと驚いてしまった

知多市歴史民俗博物館  立派だ。

知多市の博物館だ

こういうご時世で、こういう場所に来る人は、ほとんど無い。私の前に2人。私が帰る頃に1人入ってきた。入場無料。コロナの影響があり、受付で連絡先を書くよう促された。館内展示をざっと見て、受付に戻って、「写真を撮って良いですか?」と聞いたら、断られた。そうだろうなと思って、見て回っていたら、さっきお断りになった受付嬢が「人が少ないので、他の方が写真に入らないように取るなら、良いですよ」と特別にオッケーを出して下さった。ありがたい。

これは知多半島。さて知多市はどこ?

上の写真は知多半島です。その知多半島のどこに、知多市はあるでしょう?なんて質問をされたら、私は愛知県民ですが、知多市を指させません。なので、これをまじまじと見、実線で囲われた知多市を見、「ここが知多半島における知多市の位置か」と見ていた。

奈良時代に塩を献上していたそうだ。

常設展示のメインテーマは知多市の生業(なりわい)のようだ。縄文時代や弥生時代の土器展示はあった。奈良時代に都に塩を献上した記録はある。けれど、不思議と平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代などの展示はなかった。農閑期に出稼ぎでやった尾張万歳、漁業、知多木綿などの生業に関する展示が充実していた。特に凄いと感心したのは漁業、船の展示だ。

マンガ漁の船

金属に網をつけて海に投げ入れて、エビや魚を取る漁

昔、三河の知り合いから「マンガンに行くけど、どうだん?」と誘われた事がある。そのマンガンは船で沖の方に出て、底引き網みたいなものを海に投げ入れて魚を取るという漁だと教えられたので、たぶん、このマンガ漁の事じゃないか?と展示を見ながら思った。

そして、ついでに思った。「その時、行かんどいて、良かった」と。

行っていたら、絶対船酔いして、白目をむき出しにして倒れていたかも知れない、と展示物で分かった。

 

 

author:1230fan, category:尾張, 00:32
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