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牛久保と桶狭間 駿公のご縁

「うなごうじ祭」を見に牛久保の八幡社を訪れた時、神社の入口に牛久保を歩いて回るための案内板を見た。

この看板を見て、「あああ、ここにあったのか」と驚いた事がある。それは、今川義元公のお墓が牛久保の、この八幡社のすぐ近くにあった事だ。昨年の丁度春頃、私は「信長攻路 人生大逆転街道」という言葉をネットで見つけ、それを辿って、NPO法人桶狭間古戦場保存会の主催する信長攻路・桶狭間史跡ツアーに参加した。

ツアーの終わりに立ち寄った長福寺。ここで今川義元公の首検証がされたと聞いた。その時、案内の人に「胴体はどうなったのですか?」と尋ねたところ、家臣が体を駿河に持ち帰ろうとし、途中豊川辺りで傷みが激しくなったので、やむなく、その地で埋葬されたのだと聞いた。その事はずっと記憶に残っていたが、まさか「うなごうじ」を見に行った先がその地だったとは、と驚いた。

桶狭間ツアーでは、主に信長の戦いがどのようなものだったかを聞いたが、一方で負けた今川義元がもしかしたら領民に慕われていたかも知れないという話も聞いた。テレビドラマに毒されている私は「今川義元が慕われていた?まさか??」と怪しんだ。けれど、義元が討死した場所から出土したお墓を見て、考えが変わった。そのお墓には「駿公」と刻まれていた。一見すると誰のお墓か分からない。いつ建立されたのかも分からない。立派な墓石でもない。けれど、誰のお墓か分からないよう細工されている分、お上の目を盗んで、心から今川義元公に手を合わせた人がいたかも知れないと感じた。

素朴に誰かをひっそりと悼む人がいたのでは?と思わせるような墓石だ。気持ちを感じるんだよね。

だから、次は牛久保のお墓へGO

author:1230fan, category:尾張, 00:36
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