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碧南にて愛知伝統野菜を頂く

碧南に「一灯」という和食料理店がある。ここで野菜ソムリエから愛知伝統野菜についてのお話を聞いた後、紹介のあった野菜がお料理になって目の前に出てきて、それを食べるというランチ会があった。

友人4人を誘って参加した。愛知に伝統野菜がある事を友人達は知らなかった。だから、とても興味深そうに話を聞き、野菜ソムリエとこのお店の料理人で店主さんに、あれこれ質問をしていた。

この日のメニューは春野菜を主としたお料理だった。野菜のお話の中で興味深かったのは、「愛知早生ふき」は東海市が産地で、他県民はあまり「ふき」を食さないらしい。愛知県が生産量日本一であり、消費も愛知がダントツらしい。「へぇ〜」だ。

メニューはこんな感じだった。

「たまねぎ」「ふき」「たけのこ」「守口漬け」「かりもり」「ファーストトマト」

これは、三河赤鶏の煮物なのだが、これの「あん」が滅茶苦茶おいしかった。それは新たまねぎを使った「あん」で、品よく甘く、正直お皿を舐めたいような美味しさだった。友達2人が「あん」を最後まで平らげようと、「あん」が少し残ったお皿をお店の人が引こうとすると「すいません」と言って、ガードした。「あんた達、何してんの?」と言うと、「だって、これをご飯にかけて食べたいんだもん」と言い出す始末。笑ってしまった。

 

野菜ソムリエさんも料理人さんも碧南出身。碧南は今、農地で野菜作りをしたい人がたくさん居るとの事で、野菜作りからリタイヤするという人がいると、すぐさま、そこを借りたい人が現れるような状況だそうだ。

地元野菜を大切に育て、その魅力を言葉で発信する人、料理にして魅力を引き出し実際に食べて貰って魅力を伝える人、素敵なコンビネーションで地道にファンは増えていると思う。このランチ会、私が知る限りでは、いつも一杯、大盛況。

 

author:1230fan, category:三河, 22:11
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岐阜県に接する豊田市 旭に桃を見に行く

たまたま目にしたポスター。「上中 しだれ桃」とあった。「じょうちゅう? それとも、うえなか?」豊田市らしい。気になってネット検索すると豊田市の上の方、岐阜県に接した豊田市旭地区の「かみなか しだれ桃」というイベントだった。3000本のしだれ桃が満開になると桃源郷のようだとあったので、行くことにした。山里らしく、細い道も遠距離運転も嫌いな私は豊田市駅から「おいでんバス」を利用した。しだれ桃の最寄りの「小渡(おど)駅」まで70分、600円だ。豊田市駅を出る時、私を含めバスの乗客は3人だった。けれど、途中の広瀬までに乗客は私一人になった。久しぶりの路線バスの旅で、しかも終点までの70分の乗車、お尻がしびれそうになった。

途中の広瀬の停留所にある宿はなんだか昭和チックで、これはこれで良い感じ。それにバスから眺めた「広瀬やな」も、なんだかのんびり川遊びできそうで良いじゃないかと思った。広瀬やな辺りは豊田市駅から40分位だったか、そんなに遠くないと思うが、車の町豊田っていう感じからは、かなり遠ざかった町の風景だった。

小渡(おど)の停留所を降りると、「しだれ桃」の時だけのシャトルバスが現地(しだれ桃の里)まで乗せていってくれる。事前に情報を把握しておけば、無駄なく現地に行きつくことができ、便利だった。

黄色はレンギョウ。桜、桃、水仙、スズラン、チューリップ、春の花オールスターズ

マップを片手に花の折り返し地点まで行って帰ってくる。行きの途中、五平餅の美味しそうな香ばしい匂いがプンと鼻先をかすめたが、帰りまで我慢だと通り過ぎた。帰り、「食べるぞ」と坂の上の民家の倉庫で焼いていた五平餅を買った。民家の軒下の長椅子に座って食べた。美味しかった。その農家はお庭も解放していて、そこではコーヒーを淹れていた。

お庭はこれだ。ここはオランダですか?という位、見事なチューリップ庭園だった。みんなに見て貰うことを想定した立派に手入れされたお庭で、コーヒーをここで飲んだ人が道を歩きながら「ここのコーヒー、美味しいわ」と言っていた。

帰りのバスに乗る前、私はまたも別なお店の「五平餅」をお土産に買った。匂いがたまらないし、この甘辛の味噌だれが好きなんだから仕方ない。しだれ桃の里からシャトルバスで小渡駅までやってきて、帰りのおいでんバスの発車時刻までにお手洗いに行った。鏡の前でマスクをはずして、自分の顔を見たら、頬っぺたに、さっき農家の軒下で食べた五平餅の味噌が縦に一筋ついていた。

よい年して、顔に味噌をつけていたなんて、やだ恥ずかしい。

「たまたまだけど、マスクで顔を隠して、ここまで来て、あ〜良かった」と思った。

author:1230fan, category:西三河, 22:50
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桶狭間と牛久保 大聖寺

牛久保にある今川義元公のお墓を見に大聖寺に向かう。八幡社から家々の間の細い道を通っていくのだが、その細い道の曲がった感じが「ここは、やっぱり古い町だな」という印象を受ける。今まで巡った古い町の路地と同じ感じだからだ。桜が満開だった。

「今川義元公御廟所」と書いてある看板の隣の門というのか、屋根付きの入り口に入る。「はて?大聖寺というお寺の境内に入ったつもりなのだが、本堂がない」と立ち止まって、辺りを見る。この敷地にはお寺の本堂のようなものはなく、地元の人が集まるのだろうと思われる寄合所的な建物があるだけだった。

入り口を入り、桜の木の方、左に行く。上の写真の手前の方に今川義元公のお墓がある。

桜からズンズン進むと道の先には、こういう屋根付きの入口があって、その先が義元公のお墓だ。

今川義元公のお墓の左横には「一色刑部のお墓」があった。今川義元公よりも前時代の方、このお二方は足利氏の血筋の、どちらも良い家柄の人なのに、なぜこんな民家の庭先のような、大聖寺にお墓があるんだろう?と思った。

 

家柄と埋葬されたお寺の格に差がある感じがしたので、帰宅してから調べると、この大聖寺の場所は中世の頃は一色刑部によって建てられた一色城というお城があったそうだ。今の境内の様子からすると、昔のお寺の痕跡は無いんだろう。現場にいる時には全然気づかずにいたが、義元公のお墓の背後に一色城の土塁の遺構もあるらしい。うかつにも見ずに帰ってきてしまった。残念。

ただ、いらん所だけには目が行って、この大聖寺の義元公のお墓の後ろ側の民家の表札は「今川」さんだった。もしかして、ご子孫ですか?とちょっと思った。

 

桶狭間で聞いたお話では、今川氏への哀悼の意なのか、地元の農民達は「おはぐろトンボを捕ってはいけない」と子孫に言い伝えたんだそうだ。今川義元公のおはぐろを想起させる、おはぐろトンボを殺生するなという事らしい。

author:1230fan, category:東三河, 22:24
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牛久保と桶狭間 駿公のご縁

「うなごうじ祭」を見に牛久保の八幡社を訪れた時、神社の入口に牛久保を歩いて回るための案内板を見た。

この看板を見て、「あああ、ここにあったのか」と驚いた事がある。それは、今川義元公のお墓が牛久保の、この八幡社のすぐ近くにあった事だ。昨年の丁度春頃、私は「信長攻路 人生大逆転街道」という言葉をネットで見つけ、それを辿って、NPO法人桶狭間古戦場保存会の主催する信長攻路・桶狭間史跡ツアーに参加した。

ツアーの終わりに立ち寄った長福寺。ここで今川義元公の首検証がされたと聞いた。その時、案内の人に「胴体はどうなったのですか?」と尋ねたところ、家臣が体を駿河に持ち帰ろうとし、途中豊川辺りで傷みが激しくなったので、やむなく、その地で埋葬されたのだと聞いた。その事はずっと記憶に残っていたが、まさか「うなごうじ」を見に行った先がその地だったとは、と驚いた。

桶狭間ツアーでは、主に信長の戦いがどのようなものだったかを聞いたが、一方で負けた今川義元がもしかしたら領民に慕われていたかも知れないという話も聞いた。テレビドラマに毒されている私は「今川義元が慕われていた?まさか??」と怪しんだ。けれど、義元が討死した場所から出土したお墓を見て、考えが変わった。そのお墓には「駿公」と刻まれていた。一見すると誰のお墓か分からない。いつ建立されたのかも分からない。立派な墓石でもない。けれど、誰のお墓か分からないよう細工されている分、お上の目を盗んで、心から今川義元公に手を合わせた人がいたかも知れないと感じた。

素朴に誰かをひっそりと悼む人がいたのでは?と思わせるような墓石だ。気持ちを感じるんだよね。

だから、次は牛久保のお墓へGO

author:1230fan, category:尾張, 00:36
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豊川市 牛久保 若葉祭こと「うなごうじ祭」

牛久保八幡社の「若葉祭」、別名「うなごうじ祭」に行った。「うなごうじ」の由来が面白い。かつて、この地の城主が若葉祭の時に領民を城中に招いて酒食を振舞った。お酒に酔った領民達が帰る途中にごろごろ路上に寝ころんでしまった。その様子が「うじむし」に似ているところから、「うなごうじ祭」と呼ばれるようになった。

いまどきの普通の感覚なら、「うじむし」イコール「汚い」「お祭りの名前にするなんて、とんでもない」となるけれど、昔はもっと大らかな気持ちだったに違いない。単に転がっている様子がうじむしみたいで面白いと無邪気に思ったんだろう。

神児の乗る神輿

笹踊り

うなごうじ (寝っ転がる領民?)

この写真の中で一番強く惹かれたのは、「笹踊り」だ。衣装が異国風で目を引くし、この3人の若者の踊りがともかく良いんだ。動きにキレがあって、もうちょっと見ていたいという短さで終わってしまう。笹踊りは鎌倉時代から伝わる神事だそうで「やんよう神」と呼ばれる大太鼓1人、小太鼓2人の3人の若者が太鼓を打ち鳴らしながら、三つ巴になって歌に合わせて踊る踊り。また見たいもんだ

牛久保駅近くの歩道に桃や春の花

牛久保駅から牛久保八幡社まで徒歩5分。前日の土曜に天王社から獅子頭を牛久保八幡社に奉納する神輿渡御の宵祭があり、日曜の本祭りは八幡社から天王社までお送りする。今日は素晴らしく春の気候で最高だった。11時から15時まで、私は子供みたいにお神輿について回って、もうヘトヘトだ。

ちょっと昭和レトロな駅。令和になろうとする今、その風情が返って良いや。

author:1230fan, category:東三河, 21:59
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柳橋中央市場をのぞく

去年、柳橋中央市場の中央水産ビルが2019年10月末に閉まると聞いて、2018年の年末、生まれて初めて朝の営業時間の市場にやってきた。年末の数日は普段10時に閉まるのがお昼頃まで営業するので、滑り込みできたのだ。それまで、夜、この近辺をウロチョロする事はあっても、朝の市場に来たことはなかった。だから、自分が朝の時間帯にここにいるなんて妙に緊張したわ。「何を買おう」と色々考えて、年末だし、昆布巻き用の上等な昆布を買って、その後、名駅でも行くかと思い、マルナカにまず入った。

普段、スーパーでお店の人に「あれを頂戴。これは高いじゃん、もうちょっと手ごろなの無いの?」みたいな会話はしないので、お店の人とのやりとりにドギマギした。食材をよく分かっていないから、話にならない自分が超恰好悪かった。けれど、一応、美味しい昆布で美味しい出汁が取りたいと思って、お店の人に「出汁の取り方」を聞いたら、こんどは、あちらが困ったらしい。急に会話のテンポが変わった。最初はああだ、こうだと言っていたが、途中から「うちの女房に、しょっちゅう怒られるんだわ。あんたは、いっつも口で出汁を作るだけで、手を動かして出汁をこさえた事がないんだからって〜」と言い出した。私は、相手を困らすような、いらん事を聞いてしまったなぁと笑ってしまった。

昆布屋を後にして、水産ビルを覗く。たまたま1軒、マグロを捌いている店があったので、ヒョイと入る。そして、ヒョイと捕まり、「中トロがとんでもなく安いんだ」に乗せられ、あっちゅう間に買ってしまった。どうにも人の良さそうなおじさんに掴み取りされた感じがしたけれど、うちに持って帰ったその中トロは正月やたらと人気ですぐに消えた。

 

本当は昆布だけ買って名駅に行って服を見てから帰るつもりだった。でも、中トロを持って、名駅には行けない。だから、さっさと帰ってきた。水産ビルが今後無くなったとしても、自分としては、思いがけず中トロを買ったという小さな思い出は残せた。それでヨシだな。

author:1230fan, category:尾張, 22:36
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先週オープンしたばかりの刈谷市歴史博物館へGO

カーナビに住所を入れても出てこないほど、真新しい場所、刈谷市歴史博物館。刈谷市体育館の隣にある。今日は体育館の奥の亀城公園のお花見客もいて、駐車場は結構いっぱいだった。

さて、歴史博物館だが、見た目は和モダン。内装も木材を多用していた。「これって、もしかして、和の大家と呼ばれる隈研吾さんの設計なのか?」と調べてみたが、どうも違うようだった。真新しくて、あか抜けていたので有料か?と思い、受付の方に「あのぉ、チケットはどこで買うんですか?」と聞いたところ、「無料」との事。「刈谷市って、儲かってんだなぁ」と嬉しくなった。

お祭りひろば(祭り展示室)で、刈谷のお万燈祭の映像を見た。山車と万燈(まんど)の実物が飾ってある。万燈はねぶたを小さくした感じの張り子人形だ。今まで一度も現物を見たことが無かったので、祭り映像の豪華さに「今年は見に行ってみたい」と思った。

歴史ひろば(常設展示)は縄文時代から近代までの展示物があった。特に「うわぁ〜」と思ったのは、縄文人の埋葬標本というのかな、お骨だ。縄文人の男性の平均身長は159センチで、女性は153と確か書いてあった。それほど小さくない事に驚いた。

あと、「すっごいじゃん」と思った人物がいる。それは、水野勝成。刈谷のゆるキャラ「かつなり君」だ。彼が「ゆるキャラ」なんて、とんでもない。実際の「かつなり君」は完全武闘派、鬼日向なんて呼ばれていた。多分、どうにも手に負えないキャラだったから、親から勘当されて15年、あちこちで暴れまくっている。家康公はいとこで、「かつなり君」親子の間に入って勘当を解いたらしい。

真新しいし、それほど混んではいないし、何よりタダだ。是非お勧め。なお、館内の写真撮影は企画展以外の場所はOKとの事だった。

 

author:1230fan, category:西三河, 23:06
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JR安城駅近くの酒蔵「神杉酒造さん」に行く

地元の醸造文化に興味のある私は自分の能力で行ける範囲で、蔵元さんを訪ねるようにしている。今回は安城にある酒蔵「神杉酒造さん」の蔵開きに行ってみた。JR安城駅から徒歩10分位のところに神杉さんはあった。「こんなに町中に酒蔵さんがあるのか!」と驚いた。

外観はこんな感じ。少しレトロ。

開始時間は朝10時だった。数分早く到着したが、私と同じように開門して即、中に入った人が数人いて、みな受付をしてアンケートを書いて試飲用のプラスチックカップを貰っていた。蔵開きの楽しい点はその酒蔵で作っているたくさんの種類のお酒を安価で試飲できる点だと思う。けれど、私は近くまで車で来ていることもあってお酒の試飲は遠慮して、甘酒と仕込み水だけ口にした。

「こういう機会にたらふく色んな種類の日本酒が味見できたらサイコーなんだけどなぁ」といつも思う。そして、一升瓶や720mlの瓶を見ながら、「飲めない自分はこんなにたくさんは要らないけど、50〜100ccの全種類お味見セットがあったら、それを箱買いするのになぁ」と試飲を楽しむ人を横目に見ながら思う。叶わぬ夢だぁ〜

帰ろうとしたところ、出入り口で知り合いに出くわした。こんな所で出くわすとは思っていなかった。「試飲しに来たの?」と尋ねると「車で来たから試飲はしないよ」と言っていた。けれど、その顔つきは「好きなだけ買って帰るぞ」というニンマリ顔だった。

 

「いいなぁ。私もお酒を飲み比べて、評論家みたいにモノ申してみたいわ」と内心思ったが、彼に本音を言うと負けた気になるので言わなかった。いつかお味見セットが出てくる事を祈りながら、地元酒蔵見学は続けようと思う。

author:1230fan, category:三河, 21:38
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岡崎 4月7日は平泉成さんの家康行列と大樹寺多宝塔

去年初めて家康行列を見に行った。豊橋出身の松平健さんが家康公をやっていた。見に来た人もそれまでになく多いようだと岡崎に住む友人が言っていた。こんな感じ。

今年は平成最後のお祭りだから、平(泉)成さんが家康公なんだそうだ。「平成」という名前だけで選ばれたのかどうかは知らないが、平泉成さんはそもそもが三河人だ。岡崎商業高校を出ていると、平泉成さんと同級生だった知り合いから聞いている。もともと平泉セイシチロウというお名前だそうで、高校を出てから大映にニューフェースで入ったんだそうだ。名前が一般人に知られるようになったのは、ず〜っと後、バラエティー番組に出てからだと母校での講演会でご本人が話されていたそうだ。

下の写真は大樹寺にある多宝塔。室町時代、1535年に建てられた。家康公が生まれたのは1543年。だから、生まれは多宝塔の方が先。

桶狭間の戦いで敗れ、大高城から、一族の菩提寺である大樹寺に帰った家康公が自害しようとしたところを住職の登誉上人が「厭離穢土欣求浄土」の言葉を授け、自害を思いとどまらせたと言われている。大樹寺に「その現場はここですよ」を示すような看板があるのか?と眺めまわしたけれど、なかった。登誉上人とのこの出来事が事実だったのかどうか分からないが、その当時からここにいる多宝塔だけは事実を知っている。

平針街道、豊田市堤町に御茶屋という地名の場所がある。そこで見つけた家康公に関する歴史案内板。

案内板の最後2行に大高城から岡崎に向かう途中で、この堤村で家康公が休憩してお茶を召し上がられたので「御茶屋」という地名になったとある。ここで「もうすぐ故郷の岡崎だぁ」と、のんびりお茶をしていたのか、それとも、「岡崎に帰った後、自分は一体どうなっちゃうんだろう」とお茶を飲みながら思い詰めていたのか、さて、当時17才の家康公はどっちだったのだろうと想像するが、いずれにしても家康公は困難の中を生き抜いて、太平の世の中を築かれた。

登誉上人の厭離穢土欣求浄土」は「この戦いばかりの世の中を、平和な世の中にする事が役目だから、死んではいけない」という意味だったそうだ。家康公は、これに徹した人生だったなと思う。

author:1230fan, category:三河, 23:48
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刈谷市 泉田の昔の船着き場を探してチョ〜ロチョロ

江戸時代、刈谷市の泉田に船着き場があり、そこで陸揚げされた荷物が豊田市(最終到着場所は足助)まで馬で運ばれたんだそうだ。その道は塩付街道と呼ばれた。ネットで調べると名古屋の塩付街道が出てくる。が、刈谷から豊田に向かう方向の「塩付街道」は出てこない。けれど、それは存在したようで、中根洋治さんの「忘れられた街道」という本に書いてあった。

で、私はこの日、泉田のかつて船着き場だった場所を探しに出かけた。

まず最初に行った場所は、刈谷市総合運動運動公園だ。ここは泉田から近い上、逢妻川が流れている。この川幅なら江戸時代に船着き場がありそうな川だなぁと思って、やってきた。

で、ここで泉田区の歴史を簡単に紹介するホームページを見て、泉田町の伊勢倉という場所に船着き場があったと伝えられていると書いてあるのを見て、伊勢倉に車を走らせた。伊勢倉の番地は分からないので、ともかく1番地に行ってみたところ、なんだか思いのほか街はずれ感があり、「あれ?」という間に川幅の狭い境川を通り越し、次にまた川幅の狭い「皆瀬川」を通り越し、気づくと、刈谷市から大府市に越境していた。「船着き場らしい感じはない」

で、Uターンして、また刈谷市総合運動公園に戻ってきた。下の写真は体育館とは反対方向に広がる風景だ。いかにも船が泊まれそうな川なんだ。

で、ここからは勘だ。この逢妻川の流れている方向にきっと船着き場はあっただろうと考え、なるべく川に沿って車を走らせた。すると、あっというまに、ドン付きになった。仕方が無いので、近くの神社の駐車場でUターンしようと車を止めた。が、少し高台にあったその神社がなんだか気になったので車から降りて、境内に入った。境内の隙間から逢妻川が見えた。

「ここはなんだか気になる」と思って帰宅した。帰宅後、中根先生の本をもう1回ちゃんと見た。すると、先生の本にその神社の事が書いてあった。平成10年頃、先生は地域の方に聞き込みしていて、昔そこが船着き場だったと特定してあった。最初からちゃんと読んでおけばと思ったけれど、迷って、勘でたどり付けた事の方が嬉しかった。また近いうちに行こうと思う。

刈谷総合公園の河原に咲いていた早咲きの桜

なんで、ここにその神社名を書かないか?と言えば、迷ったり、勘を働かせて、「ここじゃないか!」と思って、行き当たった方が楽しい冒険になるからだ。

author:1230fan, category:西三河, 23:55
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