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みよし市 いいじゃん祭りと大提灯

みよし市は、2010年以前は西加茂郡三好町(みよしちょう)だった。子供時代、親に連れられて三好の夏祭り(大提灯)に来た事があった。その時の思い出は、境内に屋台がいっぱい出ていて、大勢の人でごった返していて、自分も何か買おうと思って、人込みをかき分けながら、りんご飴を買って、飴が誰にも引っつかないよう気にしながら、人込みから出てきたという思い出だ。以来、ずーっと行っていなかった。そして、今夜、数十年ぶりに行ってみた。屋台は昔通りなのか、それ以上なのか、ともかく一杯出ていた。昔の思い出は屋台巡りしか無く提灯を見たかどうか怪しかった。で、今夜まじまじ大提灯を見た。驚いた。大提灯と言ったって、ここまで大きくするか?という位、とんでもなく大きくて感動した。

稲荷社の隣の満福寺

日が落ちる前の大提灯。大きいんだ、とんでもなく

 

昔と違った事は他にもあった。「いいじゃん祭り」だ。大勢の人がいくつかのチームに分かれて、踊りを踊る。みなチームごとに衣装を揃えていた。踊りの音楽も昔の「炭坑節」のような盆踊りのリズムとは全然違った。どちらか言うと、DA PUMPのUSAを少しテンポダウンしたような今どきのリズムだった。けれど、その曲、三河弁の3つの語尾をひっつけた「じゃんだらりん」という曲名だった。ローカル色ありありの名前の割に、テンポが良くて老若男女ノリノリに乗れる音楽で、皆さん楽しそうに踊っていた。私の近くで見ていた人、多分今回たまたま踊っていないだけの人だろう、「じゃんだらりん」が聞こえてきたら、缶ビール片手に片足でステップを踏んでいた。「うん、分かるよ、その気持ち。踊ってる方が断然楽しいと思う」なんて思いながら、その人を見上げていた。

 

日が落ちてからのお稲荷さん

日が落ちてからの大提灯

 

踊りが始まったのが夕方6時半頃で15分置きに5分程度の休憩を入れながら、皆さんずーっと踊ってる。多分終わりが近くなった頃、私は帰ろうと立ち上がった。見物人が少なくなった折り返し地点に近い所で、シャボン玉がワァーと踊り手さんに流される場面に遭遇した。それが、とっても綺麗で、「こんな演出考えた人、凄い〜」とまた感激した。

サタデーナイトフィーバー!(古い言葉を持ち出して、すいません)

 

なかなか「いいじゃんか、みよし〜」と思ったお祭りだった。

 

author:1230fan, category:西三河, 01:00
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吉良町の幡頭神社

知多半島の羽豆神社に行った時、同じ読みでも字が違うハズ神社の事が頭にあった。今から2か月前の歴史教室でお仲間のお一人に知多半島の羽豆と吉良の幡豆とは同じ読みなのに字が違うという話をしたところ、その人が「ああそれはね」と言って、教えてくれた。その人は何かの機会に吉良町のハズ神社に行ったそうで、訪ねた時に「この神社は、幡を先頭に立って掲げていた人が祀られているから、ハズなんだ」と知ったらしい。で、その人は尊氏好きな私に「あああ、確か、このハズ神社に尊氏も来たらしいよ」と教えてくれた。

吉良にある地名の幡豆のズは豆なので、幡豆神社だと思い込んでいたが、じっくり見直すと、神社名は「幡頭神社」だった。謂われの通り幡を先頭で運んでいた人を祀ってあるんだと再認識した。神社は海に面した丘というのか、小山というのか、そんな見晴らしの良い処にある。

鳥居の中、拝殿に向かう参道。立派な黒松並木。

創建が702年とえらく古い。ヤマトタケルの幡頭(はたがしら)を勤めた建稲種尊(たけいなだねのみこと)をお祀りしている。そもそも幡頭が先で、あとから幡豆と書くようになったとあるのも頷ける。この看板には確かに足利尊氏も、今川義元も来たとあるけれど、「どうやってきたんだろう?」とフっと思い、瞬時に「船で来たんじゃないの?」と妄想。この場所の近くには「鳥羽」という地名の場所がある。地名研究をしている人から「鳥羽=渡場」という話も聞いたことがあるので、ここは、もしかしたら船移動の中継地点じゃないの?なんて妄想する。

この神社、訪ねてみると誰もいない。でもね、この神社、拝殿の後ろにある本殿がとんでもなく素晴らしい。

この屋根の曲がり具合、素晴らしい〜。桃山時代のもので重要文化財らしい。両脇の熊野神社と神明社も同じ時期のものらしい。どれも屋根がいいわぁ。

 

大昔の本当の事は、なかなか分からないけれど、尊氏や今川義元が神社の境内近くの高台で野営なんかして、休憩したかも知れないなんて空想するのは楽しい。それに、この屋根、絶対オススメ。そうそう周りに屋根好きがいないせいで、共感して貰えないけれど、良い屋根なんだ、ここは!

author:1230fan, category:三河, 21:30
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運河の街・半田・キャナルナイト

これは何なんだろう?カヌーの立ち漕ぎなんだろうか?こういう人達何人かが運河上を移動。前の晩とこの日の夜は半田でCanal Nightというイベントが開催された。オシャレな雰囲気がありそうな、このサマーフェスティバルのチラシを去年から見ていたので、一度はと思い、やってきた。夕方5時半頃到着。まだ日が高く、メインイベントの光の玉の投げ込みまで1時間半もある。さて、どうする!

特別、目当てもないし、予習もしていないので会場内を適当にウロチョロ。飲食のブースがいくつも出ていて、雰囲気はオシャレです。これが混む前です。

南側のスペース

インスタ映えな工夫あり

南側の「半六庭園」の会場に行くと運河に沿って、立ち飲みできるテーブルがいくつかあった。ここを陣取れば、そのうち日が落ちて光の玉が運河を流れゆくのを眺めながら、仲間とおしゃべりしながら、ビールを頂く事ができそうだ。なんだか恰好いい感じ。

ミツカンミュージアムの中庭のコンサートを楽しみ、「光の玉を貰い」に運河まで戻ってきたが、時すでに遅し。私は光の玉を貰い損ねた。夜7時になり、皆が光の玉を運河に投げ入れた。私はそれを少し離れたところから見ていた。

自分が光の玉を投げ入れない立場になって、周りを見ていると、多くの人は「光の玉を運河に投げ入れるのがメインイベントだった」らしく、玉を投げ入れると皆運河から離れていった。で、入れ替わりに私は前に出て、運河の水面を覗いた。光の玉はなかなか美しかった。この日、空には少し欠けた月が上がり、その傍には恒星と思われる星が一つあった。名古屋セントラル交響楽団の演奏する「Moon River」が鳴り響ていて、この風景とマッチするなぁと、しばらく運河と月を見ていた。

こういうイベントは自分にとって本当に久しぶりだった。じっとりする日本の夏の空気にオーケストラの生演奏やバンドの生歌が天井なしに響き渡るのって、なんて開放感に溢れているんだろう、なかなか良いと満喫できた。

author:1230fan, category:知多半島, 12:20
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トヨタ市 鞍ヶ池アートサロン

7月と8月初め、矢作ダムに行ってみようと試みたが、カーナビが山里のような小さな集落の片道しか通れない道を案内するので怖くなって行けず仕舞いで終了。家への帰り道はいつもカーナビ任せだ。すると、なぜか毎回違う道を通って帰って来ることになった。この前の道案内は去年出かけて行った豊田市の矢並湿原のそばの鞍ヶ池PAから高速に乗る道案内をしたので、鞍ヶ池に来たのだから、「鞍ヶ池アートサロン」に立ち寄ろうと思い立ち、カーナビの言うことは無視した。

鞍ヶ池公園は綺麗な芝生の丘や小さな動物園がある公園だ。私はここにあるトヨタ鞍ヶ池記念館の中にある鞍ヶ池アートサロンに時々来る。アートサロンは展示室が2つで、掛けられる絵画は大体20点。自分以外に見学者が誰もいなかったりする事が多い。見学料が無料でコレクションは本物だ。自分一人でタダで本物が見られるって、なんて贅沢な事だろうって思う。絵は確かトヨタ自動車の所蔵しているコレクションで、それが季節ごとのテーマで少しづつ変わるんだ。「トヨタさんはこっそりだけど本物をただで見せてくれる、太っ腹なオーナーだ」と毎回行くたびに思う。内心、宣伝なんかしなくて、このまま静かに独り占めできるアートサロンでいて欲しいと思っている。

 

実はこの記念館のメイン展示はトヨタ自動車の企業史の紹介だ。私はそちらの展示も、ある時、暇に任せて、じっくり全部見て回った。ケースに展示されている本の見開きページまで読んで、創業の頃の人たちが何を言っていたのか、まで見た。愉快だったのは、創業時の人達は学者さんに色々な教えを乞うのだけれど、その学者さん達が自分の理屈通りに実際には自分でモノづくりができないという事を発見しガッカリしたような気持ちを文章にしているのを見つけた時だ。あとは、展示室出口のテレビで創業時に喜一郎氏に直接接した人達のインタビュー動画を見る事ができるのが良い。どの人も会社の発展とともにトヨタ自動車を支える関連会社の経営者になった人達だが、不思議と今時のどこかの会社の偉い人達よりもずっと人間らしい顔をして創業時の苦労などを話す姿に好感が持てた。

 

トヨタ記念館の入口横

 

このトヨタ鞍ヶ池記念館の奥をずんずん歩き進んでいくと豊田喜一郎氏の邸宅が移築されている。見学無料だ。その邸宅も、とても良いんだ。一言で言うとメルヘンな感じの邸宅で、「こんな素敵なお家に住んでいる社長さんなら、素敵な車を作ってくれそうだ」と思えるようなお宅だ。まぁ夏は暑いから、邸宅を見に行くのは、今はお勧めしないけれど、一見することはお勧めしたい素敵なお宅なんだ。

 

author:1230fan, category:西三河, 22:17
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円頓寺商店街の七夕まつりにて

何年か前から名古屋の円頓寺商店街が雑誌などに取り上げられている。少し前まで、閑散としたアーケード街だったように思うが、今では昭和レトロなアーケード街として人の往来がある。今日は友人を連れて、七夕祭り最終日の円頓寺商店街を歩いた。友人がここにやってくるのは今日が初めてで、アーケード内の縁日っぽい風情を面白がっていた。

七夕飾りが風になびくアーケード

令和おじさんが!なんだか賞を貰ってる

「俺の股をくぐれ!じゃないと大泣きして困らせるぞ」と言っているのかな?

円頓寺商店街は大きな道路を渡っても、続く。

 

こちらの本町の方が昭和レトロ度は高かった。キョロキョロして歩いていくと、ありました、ありました、ここにも話題の人の七夕飾りが。。

フレディーの胸毛のモワっと感、「そんな感じ〜」って感じだった。

 

なかなかの人出だったけれど、夏祭り感は楽しめた。次はなんだろう、パリ祭かな。

 

author:1230fan, category:尾張, 22:21
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ねぶたじゃなかった刈谷 万燈祭

刈谷のお万燈祭りのポスターは今までに何度も見ていた。どうしても「ねぶた」みたいなお祭りだという印象が頭に残っていたが、実際にお祭りに出かけて行って実物をしっかり見たら、「ねぶた」では全然無い事がよく分かった。

大通りが通行止めになり、祭半纏の人が闊歩する

よくポスターで見ていた ねぶた的な張り子

これは、お神輿的なものか?車輪がついている。

 

この日の夕方、刈谷市駅近くの秋葉神社に舞いが奉納されると聞いたので、行ってみた。秋葉神社は、民家の真横にある、それほど大きくない神社で境内の舞いを披露する敷地もそれほど大きくなかった。既に並んでいる人に交じって、万燈が入ってくるのを待つ。最初は子供達の奉納舞い。町が7つあって、それぞれが異なるお万燈、子供サイズ。

張り子の裏側には町名が書かれている。

張り子の裏側は肩をかけたり、手をかけて持ち上げる棒がある。

 

舞い手は笛と太鼓のお囃子に合わせて、半身で張り子を支えながら、体を何度も左右に揺らしながら、張り子(万燈)を何ステップかで、ぐるっと360度回転させる。中には短いステップでクルクル回る子がいて、目が回るんじゃないか?と心配なほどだった。披露は1つの町で7分で、お囃子の区切りで舞い手が交代する。舞い手は男の子だったり、女の子だったりだ。多分、一人1分交代くらいだと思う。大人の万燈は1つで60キロあるそうで、ガタイの良い男性が威勢よく舞っていた。大通りの突き抜け感のある空間で結構な大きさの万燈を回して舞うのを見た時には迫力あるぅ〜と感じた。「ねぶた」みたいなもんだと思っていたが、全然違っていた。張り子を担ぐようにしてにして人が舞うのだから、これ自体がお神輿なのかな?よく分からないが、現物を見てみるのは良い事だと思う。

 

 

 

author:1230fan, category:西三河, 22:11
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愛知伝統野菜 「夏」

去年の今頃も台風がやってきて、この時期のお祭りがことごとく中止になった。今日はずっと前に予約していた愛知伝統野菜のランチ会へ行く事になっていたが、台風が日中に愛知県を横切ると言うし、ランチ会もどうなる事かと心配はしたが、朝になって予定通り開催と連絡があり、ホッとした。

愛知伝統野菜の夏の主役

黄うり(金俵まくらうり)、天狗なす、たまねぎ知多3号

姫ささげ、四葉きゅうり、ちりめんカボチャ、まつな。

(まつなは右の花瓶に入っている背の高い雑草みたいな緑色のもの)

エリンギは「とっとき1号」という種類(伝統野菜ではないが、地野菜)

天狗なすは、ヘタのすぐ下に鼻みたいな膨らみがあるのが

名前の由来だが、膨らみがない物が市場では天狗なすとして

売られ、鼻があるのは規格外品となるらしい。

でも美味しさには変化なし。

緑色の文字の野菜が今日の伝統野菜

ランチ会はいつもの碧南市「一灯」さんで行われた。どれも美味しい。どれも美味しい中で一番「これは!」と私にとって目新しかったのは「地豆とじゃこ、まつな入りの釜炊きごはん」だった。地豆というのは、生の落花生のこと。今くらいの時期になると地元スーパーでは生の落花生を「地豆」とシール貼りして売っている。碧南は主な産地の1つだ。地豆の食べ方は生の落花生を殻付きのまま塩茹でして食べる。その軽く塩茹でした「地豆」が出汁醤油の炊きこみご飯に「じゃこ」や「まつな」と混ぜられたものが、今日は一番良かった。おかわりオッケーだったので、友達2人と私は「おかわりした」。

ご店主に作り方をあれこれ聞いたおかげで、自分でも作れそうな気でいる。「トライしてみよう」と思えること、これが、このランチ会の一番好きな部分だ。一灯さん、作り方を教えて下さって、ありがとうございます。

 

author:1230fan, category:-, 22:28
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名古屋港

何年か前、一時、大型船に夢中になっていた時期に「船と言えば港だよね」「大きな船を間近で見ると言ったら、名古屋港だよね」と興味を広げていき、最終的に名古屋港管理組合の主催する名古屋港見学クルーズに参加したことがあった。そして今日、久々に名古屋港管理組合のホームページを見てみたら、知らぬ間にホームページが随分と垢抜けしていて、何年か前は確か毎月募集していた名古屋港見学クルーズの募集は無くなっていた。代わりに「クルーズ名古屋」という中川運河から金城ふ頭までの小型船舶によるクルーズが有料で運行されている事を知った。

「船がちっちゃいなぁ」と思ったけれど、これ以外は無いようだから、次はこれに乗ってみるかとちょっと思った。

 

さて今日は何年か前に名古屋港を見学した時の記録をご紹介します。

乗り込んだ見学用の船 (結構しっかりした船)

いつもは、この橋の上を車を運転しながら、眼下の大型船を眺めていました。

橋の下から見上げる。

小型船から見る大型船が横付けするターミナル

ガントリクレーンが何基もある。

 

こんな感じで説明してもらい、結構な大人が楽しんでいた。

 

私は息を飲むほど大きい船を本当は近づいて見るのが大好きだ。けれど、そういう機会はなかなか無い。名古屋港管理組合のホームページには、時々港にやってくるクルーズ船や練習船の入港予定やイベントがあがっている。だから、たまには普段接することがない世界にフラっと行って別世界を楽しみたいと思っている。名古屋港は広いのだ。

author:1230fan, category:尾張, 22:46
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高師直一族の所領 岡崎 菅生郷

鎌倉時代から三河の岡崎は足利氏が長く守護した場所(第二の故郷みたいな場所)。その足利氏の執事、高氏(こうし)は1337年から観応2年1351年まで三河の守護を務めた。その高氏、岡崎の菅生郷を領地にしていたそうだ。高氏(こうし)というのは、足利尊氏の信頼を得ていた執事・高師直(こうのもろなお)の一族のこと。岡崎市史によると、足利尊氏と弟の直義の争い、観応擾乱の中で、高師直一族の多くが上杉氏に討たれてしまう。その生き残り、明阿(みょうあ)が亡くなった夫や父、叔父など大勢の一族を弔うために、鎌倉時代から高氏が菅生郷に持っていた屋敷跡に、尊氏から許可を得てお寺を建てたと言われている。

さて、その場所はどこか?と調べると、籠田公園そばの籠田総門あたりらしい。籠田総門と言っても、多分誰も知らない。で、どこなんだろう?とまた調べてみたら、籠田公園駐車場そばが総門跡だと分かった。

「ここに高師直がいたかも」とは驚いた。だって、ここは、一昨年前の桜祭りで松平健さんを追いかけて走った場所だから。

駐車場の左奥にある木がこんもりしている場所が籠田総門の碑がある場所。

総門の事が書いてあるらしい。(総門は秀吉の時代の田中吉政が築いたものらしい)菅生郷と言っても、鎌倉時代から南北朝時代にどこからどこまでが菅生郷だったのか分からないが、今も菅生と名の付くよく知った場所がある。それは乙川(菅生川とも言う)沿いにある菅生神社だ。

このお寺はとんでもなく古い。長い歴史の中で、お寺の場所を移動させたりした時期もあったらしいが、由緒正しい。訪ねた時はたまたま例大祭が終わった後で御朱印を貰おうとする人が何人か境内にいた。

8月第1土曜の花火大会のための桟敷が準備されている

岡崎では毎年8月第1土曜が花火大会だが、この日は、この菅生神社のお祭りでもある。氏子さんが境内で手筒花火をやる。ここの手筒は豊橋の手筒とは違って、小ぶりの筒状の花火を左右の手、それぞれに1本づつ握って、両手を広げて、ぶっぱなすタイプ。小さいけれど、これはこれで怖いじゃんと目撃した時は息を飲んだ。花火大会の時、乙川(菅生川)には鉾船を浮かべて、菅生神社の神事が行われる。ジトっとして暑いけど、岡崎の夏の風物詩だ。

 

author:1230fan, category:三河, 22:35
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矢作川の最下流の矢作川大橋

今年の7月は、ずーっと雨ばっかり。時々、雨が降っていない曇りの日がある。それくらい雨続きだ。こんな時に川に近づくのは、ちょっとと思ったが、その日はたまたま雨が降っていない日だった。私はへきなん・たんトピアに行った帰りに矢作川最下流の河原で車を停められそうな場所に当たりをつけておいたので、雨が降っていないその日、矢作川最下流に近づく冒険に出た。

たんトピアのある碧南市側から矢作川を渡ると、西尾市になる。市が変わったことに気づいたのは取った写真に出た住所を見ての事だ。

「なんだぁ?こっちは西尾市か」

目をつけておいた橋。でも、最下流にかかる橋ではなかった。で、そこから、どんどん河口方向へ進む。

遠くに見える橋。これが矢作川最下流にかかる「矢作川大橋」。橋の構造や装飾に特別感は全然ない、普通の橋。

矢作川大橋を越えたらもう橋はない。右前方にたんトピアで間近に見た碧南火力発電所が見える。この先どこまで行けるのだろう?行先がどん詰まっていたらどうしよう!!と少し恐々と前進する。

そのあたりは、こんな風に広々とした畑が続いているんだ。

向こう岸の火力発電所にまた少し近づく。側道から河原に下ると、結構広い駐車場があった。ここで車から降りてみた。川でジェットスキーを楽しんでいる人がいた。ともかく「良し!」っだ。この駐車場の先に行っても、どん詰まりそうな気がしてきたので、ここらで冒険は終了だ。

 

さて、次は矢作古川に近づいてみようと思う。なぜ矢作古川か?

それは、今の矢作川は秀吉とか家康の時代に、もともとあった矢作川が氾濫しないように人が工事をして川の流れを変えた結果の流れらしいのだ。で、そもそもの川が矢作古川なのかなぁ?と、勘違いかもしれないけれど、今は思っているので、それを色々調べてから、探検してみようと思っている。

 

author:1230fan, category:三河, 22:19
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