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名古屋 変化していくから写真を撮ろう

一昨年の天皇陛下のお言葉から、なんだか色々な方面で、それまで当たり前だった事、モノが変化していく話を耳にし始めたような気がする。おかげで、変化イコール様子を変えるだけ、変化イコール当たり前が終わりになるが頭の中でごちゃごちゃだ。

で、先日、名古屋栄に行った折、そうそうテレビ塔と中日ビルは変化するんだったなぁと写真を撮った。今までの当たり前が当たり前じゃなくなってしまうので淋しい。そんな気持ちからだ。

テレビ塔がどう変化するんだったかなぁは、さっき調べた。良かった。耐震工事だけで2020年にまた営業する。たぶん、形は変わらないだろう。で、中日ビル。

これは、2024年に新しいビルになるそうだ。形は新しくなるんだろうなぁと思うが、ともかく無くなる事はない。良かった。

中日ビルには2つの思い出がある。

ビル内の中日文化センターに20年位前、毎週通った。習い事の後、必ずビル内の喫茶店でお茶をした。ある時、最上階の飲食店に先生や仲間と一緒に行った事があった。写真の屋上の丸い建屋だ。ここは窓に面した外径部分の床がゆっくり回転する店だった。(当時は、いわゆる回転レストランだった) そうとは知らず連れて行かれた。エレベーターを下りると、店の出入り口があった。

見ると、その出入り口の真ん前の長椅子に人が寝かされ、介抱されていた。先生は私を見て笑った。「次は、あなたかもね」と楽し気に言った。瞬間「まずい」「酔うかも知れない」と思った。で、「絶対、窓側の席は嫌だ」と大人げなく言い張って先生や仲間を困らせた記憶がある。それが私の中日ビルとの1つ目の思い出だ。

もう一つは2007年の中日ドラゴンズがシリーズ優勝した時に大群衆に交じってパレードする落合監督や選手のオープンカーが中日ビルに向かって進んで行くのを見送ったという思い出だ。あの時は大群衆が中日ビル前の久屋大通公園に集まって、凄かった。きっと中日ビルからの眺めは壮観だったろうなぁと思い出す。

新しいビルはどんなビルだろう。ちょっと昭和な、面白い飲食店が次のビルにできるのかな?仕方ないけど、あんまり洗練されすぎた、ムダの無いビルは「らしくない」んだよなぁって、ちょっと思う。

新しいビルになったら、また優勝パレードを見に栄に行きたいもんだ!

 

author:1230fan, category:尾張, 21:35
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安城市 久しぶりに三河万歳を見に行く

安城市の安城市歴史博物館で「三河万歳」の披露があるという事で、久々に「三河万歳」を見ようと思って、出かけた。以前見たのは小学生の頃。あれから、恐ろしく時間は経過した。子供の頃、伝統芸能が徹頭徹尾威厳を感じさせて眠たいものと思っていたのに対して、三河万歳は演者が時々ニンマリ笑顔する芸能だったので「伝統芸能にしては面白い」と思った事を覚える。

この芸能は、寿ぎ(ことほぎ)芸で家々を回って「おめでとうございます」と言うところから始まる。今回は三河万歳が始まる前に、今から、どういう話をしますよという解説や説明があって、それから万歳が始まった。安城の三河万歳は保存会があって、活動をサポートしているそうだ。そして若い子が最近入会したそうで、会の代表の方は喜んでいた。

言祝ぎ(ことほぎ)芸というと、20年位前まで正月になると必ずテレビに出てきた海老一染之助染太郎(お染ブラザーズ)を思い出す。この二人も威勢よく「おめでとうございます!」と言って、舞台に登場して見事な太神楽を見せてくれていたっけ。このお染ブラザーズの太神楽が記憶にある人だと、きっとこの三河万歳は物足りないと思うだろう。けれど、町の伝統芸能だと括ってみると、一度は見てみたらと思う。

 

 

 

author:1230fan, category:三河, 22:51
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豊川市 気持ちの良い山寺 財賀寺

「なかなか想像していた以上に、気持ち良い雰囲気だ」と仁王門を見た時に思った。仁王門の両側には筋骨隆々の金剛力士の「あ」と「ん」がいる。インスタ映えさせたいなら、仁王門の下にあるライトアップ用の箱に100円入れると良い。3分だったか、5分だったかライトで金剛力士像が光らせてくれる。

 

ここは、豊川市にある財賀寺だ。三河七御堂の一つだそうだ。私がこのお寺を知ったきっかけは、源頼朝が源家再興のためにここに祈願に来たらしいという事と頼朝の信頼を得ていた安達盛長(あだちもりなが)が三河の守護になった時代にここを再興したらしいと知ったからだ。この仁王門と金剛力士像は国が指定する重要文化財だそうだが、ホントになかなかに見ごたえがあるものだ。

仁王門を通り過ぎると、山を階段で登っていく道と山の斜面を回りながら上がっていく舗装道路とがあったが、階段で登って行く方を選んだ。

なんだか、緑色の穴に落ちて行く感じの写真に見えるが、山を登っていく階段だ。山寺に来たぞ〜という気持ちになる。それに頼朝も来たのかな?階段は無かっただろうから、登るの、大変だっただろうなぁと想像しながら、一歩一歩登った。木々の茂る道で見上げると空はこんな風に見えた。

どこかで見た影絵みたいだと感じた。頼朝はこういうのを見たのかなぁとちょっと妄想。階段を登りきると本堂が出てきた。

軒下を飾る風鐸っぽいのがスズランみたいで可愛い。ほんと、なかなか良い気が巡るような山寺だった。また来たいと思う。

 

 

author:1230fan, category:東三河, 22:20
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津島の街歩きツアーに参加

津島市のにぎわい創出機構OSHIの企画する「津島まち歩きツアー」に申し込んだ。案内してくれる方は町の方らしく、まだ経験が浅いようで少し緊張気味。けれど、それが返って「良い人達だなぁ」と感じさせた。

去年の夏に初めて津島に行った時に津島神社門前の角政さんで「今、津島の御朱印が若い人に人気なんですよ」と聞いていた。どこの御朱印が人気なのか?までは知らなかったが、このツアーで「観音寺さん」のご朱印が人気だと教えて貰った。

通りに面した家屋の壁に観音寺さんの副住職さんが描かれたという大きな絵があった。「これか!」と思った。

なんでも副住職さんは、お坊さんになる前は漫画家になろうとしていた方だそうで、こういう絵がお得意らしい。

とっても色っぽい仏さんだぁ〜。

津島は戦後すぐ頃までは毛織物業が盛んで、たくさんの人が働く、元気な町だったそうだが、今はその毛織物が斜陽化して、町に昔のような活気は無いのだと説明された。けれど、この御朱印のおかげで、町にやってくる人も増えたんだそうだ。

また津島では芸事が昔から盛んで、与謝野晶子や柳原白蓮などの歌人がこの街に来て、歌会のような事をしていたそうだ。このツアーではお琴と琵琶を聞かせて貰ったのだが、「春の海」以外のお琴の曲を今回初めて聞いた。琵琶の楽器演奏自体は今まで聞いた事があったが、この日の演目「宝船」、「安宅」には楽器演奏だけでなく、語りというのか、歌のようなものがついていた。これも初めて聞くものだった。プロではなくて、町で長年練習しておられる一般の方のようだったが、その語りがなかなか素晴らしいものだった。だから、帰りに思わず「素晴らしかったです」と言ってしまった。

本町筋

写真は上街道と呼ばれる道で、奥の方に進むと勝幡(しょばた)、甚目寺を経由して、名古屋へ行く道。勝幡は信長が生まれた町だと言われている。そして、名古屋の中村は秀吉の生まれ育った町。秀吉はこの街道を使って、名古屋から津島によく遊びに来ていたらしい。ほかにも津島には、加藤清正が子供の頃にお世話になっていた叔父さんの家があったり(今は神社)や清正が手習いに通ったお寺がある。そんなあれこれを聞くと、信長を中心とした人の出会いの場、接点になった町は津島なんじゃないの?と単純に思う。

author:1230fan, category:尾張, 22:39
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常滑 INAXライブミュージアム まれんな

去年から何度か常滑に出かけていて、気になっていて、なかなか行けずにいたINAXライブミュージアムにやっと行った。出かける数日前に昨年閉店した丸栄のモザイクタイルの壁をINAXライブミュージアムと多治見市モザイクタイルミュージアムが引き取ってくれるニュースを聞いていたので、内心「よくぞ引き取るって言って下さった。嬉しい」と思いながら、広い敷地内を歩き回った。

<丸栄 モザイク壁。壊すには勿体ないと思っていたんだ>

 

あまり予備知識無くやって来たところ、結構いろいろ建物がある。敷地の奥にある「世界のタイル博物館」で入場料の600円を払った。この600円が共通入館料なので、資料館、はじまり館、土・どろんこ館、ものづくり工房、陶楽工房にそのまま入れる。事前に申し込むと「陶楽工房」や「土・どろんこ館」では、モノづくりの体験ができる。

 

「これは、なかなかマニア好みに違いない」と思ったのは、企画展示のタイルをそこで売っている事。今も「土・どろんこ館」で開催中だけれど、「和製マジョリカタイル」という大正から昭和10年代までに日本で生産された装飾性の高いタイルを扱った企画展では展示ブースの出口付近にタイルの発注表が写真付きで置いてあった。見ると、もうだいぶ売り切れだったけれど、DIYなんかやっている人だったら、企画オープン直後に行けば、きっと普通ではどこで買えるのか分からないタイルをここで入手できるんじゃないかなと思った。DIYなんかやらない私でも買おうかどうしようか、よろめきかけた商品だ。

<このタイルはレリーフタイルで、花や葉が盛り上がっている>

あと、ここで他に感動したのは「世界のタイル博物館」での「染付古便器コレクション」だ。実は昔、うちには他人様から頂いたと思われる、染付古便器があった。本当にとんでもなく子供の頃、寒いお手洗いの確か板間にはめ込まれた染付古便器(大用)に、私はしゃがみ込んでいた。だから、久々の染付の古便器(大も小も)がとても懐かしかった。いくつもあるうちで、やっぱり綺麗だなぁと思うものに目が止まる。ここは、写真を撮っても良い場所だった。だから、撮ってしまいました。

<美しい>

で、思ったこと。「こんなとこじゃ、まれって言われても、まれん。まったら、バチが当たりそうで、おそがいもん」

とっても下町の三河弁だと思うけど、気持ちを100%表現するとこういう事になる。ちなみに、「土・どろんこ館」にも、これとはタイプの違う、人に見せたいトイレがある。

是非寄ってみてちょ。


 

author:1230fan, category:知多半島, 22:20
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西尾市 吉良の由来の八ツ面山(やつおもてやま)

<展望台>

地元の鎌倉時代とか室町時代などに興味を持ったせいで、本に出てくる「荘園」は今だと、どこら辺だろう?と漠然と思っていた。たまたま読んだ本に「吉良荘」(きらそう)の地名「吉良(きら)」が「きらら」から来ていると見つけた。「きらら」とは「雲母(うんも)」の事だそうだ。続日本紀に713年に参河国内から中央政府に雲母が献上されたとあるそうだ。その雲母が採掘されていたのが、この八ツ面山じゃないかという説があって、私はここにやってきた。吉良(きら)が吉良と呼ばれるきっかけになった山かも知れない、だからとりあえず確認だ!という訳だ。

なぜかカーナビで八ツ面公園で調べても、公園の「トイレ」しか出てこなかったので、トイレを目指した。トイレは山を登り切った処にあって、この展望台のすぐ下だった。山を登る途中に雲母を採掘していた「坑道跡」を示す看板が薄暗い森の中を指していたが、なんとなく怖い感じがして、展望台だけにしか行かなかった。

 

車を下りて「こんな所に、こんな場所があったのか」と思った。誰も居ない場所かと思ったら、私以外に2、3組人がいた。

この展望台、とっても良い場所だ。穴場かも知れないと思った。眼下に西尾の街が一望できる。それに町の向こうにはキラキラ光る海面が見えた。三河湾だろう。吉良温泉(吉良のワイキキビーチ)の方かなぁと思う。正直グーグルマップを見たけれど、心もとない。

たぶん、こっち方面は幡豆の方だろうと心細く思う。地元のくせ、ホント頼りない。

この山の方は幸田(こうだ)の方だと思う。山の名前も知らないヘボ地元民、ホント面目ない。

 

大昔にこんな展望台は無いだろうから、今と同じように遠くの海を見ることができたのかどうかは分からない。けれど、坑道跡のおかげで、大昔に誰かがここで都に納めるためにキララを掘っていたという事が実感できて嬉しいと感じる。で、また、いらん事を考える。吉良上野介だって、歴史の回り方次第じゃあ、下手をすれば、キララ上野介だったかもと妄想する。キララ上野介だったとしてもそれはそれで悪くない感じがするわと思う。

 

さて、雲母(きらら)だが、古代から漢方薬として飲まれていたんだそうだ。当時は長生薬だと中国から伝わっていたらしい。大昔は今よりずっと切実に健康や長生きを望んでいただろうから、キララの価値は今よりずっと高かったに違いない。

author:1230fan, category:西三河, 22:39
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北設楽郡東栄町 布川花祭り

私は2年ほど前から地元愛知で、自分が今まで行った事のない場所を思いつきで出かけて行く旅をし始めた。例えば、なんとなく前から知っていたけど今気になるから行ってみよう、とか、たまたま喫茶店の隣の人の話に出てきた場所が面白そうだから行ってみよう、そういうヒョンな思いつきをきっかけに出かける旅だ。

東栄町の「花祭」は、なんとなくネットサーフィンしていて見かけたお祭りだった。鎌倉・室町時代から700年続いているお祭りだそうで、はっきり意識して行こうとしない限り、多分一生行く祭りじゃないと思い、行くことにした。冬の間はどうやら町に雪があるらしく、私は自分の運転では不安だった。だから、花祭り最後の3月のお祭り、布川(ふかわ)の花祭りに出かけた。

<花祭は、赤鬼が主役のお祭り>

日帰りは無理だと感じたので、東栄町のゲストハウスに申し込んだ。ゲストハウスでの宿泊も初めてだった。その晩限りで初めて会う人達と食事を一緒に作り、食べ、話した。昔のユースホステル滞在のようで、刺激的で面白かった。花祭りのクライマックスは夜や夜中だったので、食事の後に店主のお知り合いの車に乗せてもらって祭りに行った。会場には結構な人がいた。うまく踊りを間近に見られるポジションを得て、夜中の1時半頃まで祭りを間近に見ていた。

笛やお囃子に合わせて、竈の周りで、小さい子供ばかりの踊り、高校生くらいの若者達による踊り、成人男性による踊りが順々に行われ、鬼が出てくる部分がメインイベントだった。鬼が出てきたのをとりあえず見たからと帰ることにした。駐車場に行ってもゲストハウスに帰るための車が見当たらず、仕方なく、祭りを見ていた2人の男性と一緒に薄暗い月明りの下、あまり車が通らない山間の道をテクテク歩いて宿に帰った。その晩は寒い夜空の月を見上げながら、こんな事をしている自分を面白がっていた。

今日、不意にハガキが届いた。布川花祭保存会からだった。今年のお祭りでしばらく休止だという連絡だった。

「どこかの地区の花祭が休止になる」とニュースで聞いていたが、それが自分が去年見に行った布川だったとは!と思った。凄く残念だ。確かにご年配の方が仕切ってはいたが、若い踊り手だけでなく、若くても熟練の笛吹きもいて、夜通し踊りまくる、ちょっと懐かしい感じの村祭りで「これはこれで良いなぁ」と思っていたので、本当に残念。ほかの地区の花祭はどうか続いてほしいと願う。

 

 

author:1230fan, category:奥三河, 00:36
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豊川 砥鹿神社奥の院 かわいい狛犬

岩戸神社のすぐ近く(車で移動)に砥鹿神社の奥の院がある。お社の裏側の駐車場に入った。てくてく行くと大杉がど〜んと立っている。もの凄く立派だ。「うひゃ〜」という具合に見上げた。

この大杉の左手にある階段を上り、本殿に出た。ここは山の上にある小ぶりの神社だが、空気が澄んでいるのがよく分かる。たいした山の上なのに下から下から参拝の人が上ってくる。一緒にいた人が、結構な年配の男性に声を掛ける。すると「何年か前に脳梗塞になって、回復したんだけれど、今はリハビリを兼ねて週に1度は登るようにしてる。」との事。下から片道2時間だそうだ。

登山用のピッケルみたいな杖を突き、短めのパンツを履いている。足の筋肉は締まっていて、登ってきたばかりだから頬は紅潮しておられた。その方はお参りすると、一息ついて、また来た道を下りていく。凄いなぁ〜と感心。とても病気だったとは思えない。

私は下から登ろうなんて気概も体力も無いけれど、この神社は登ってくる価値があると感じる。参道は山の中の自然歩道。森の木々で四季折々様子が違うだろうし、気持ち良い空気に溢れている。ホントいい感じなんだ。

 

それに本殿前の最後の階段を上がったところに、人懐っこい感じの狛犬がいる。しんどい思いをして、最後にこういう顔の狛犬に迎え入れられるのは嬉しいんじゃないかなと思う。私はここの狛犬は「タロウ、ジロウ」みたいで可愛いなぁと感じた。頭を撫でてやったり、肩に手をまわしてあげられるほど像が低いのがまた良いんだ。

<あ>

<ん?んー。ん。>

なんだろう、東三河!知らないだけで、結構良いとこ、あるみたい。

author:1230fan, category:東三河, 22:05
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豊川 岩戸神社 あたける人は行っちゃいかん

巨石が豊川にあると聞いて、やってきた。国見岩と岩戸神社の事だ。

ある人の話によると、とんでもなく大昔、人々は「神様は天からお山の三角の頂きの大岩に降りてこられる」とか、「人が死んだら魂がその大岩から天に昇っていく」というような考えがあったそうで、岩の下から岩を見上げてお祈りする、、というような信仰のスタイルがあったらしいとの事。私はそんなもんなのかなぁ〜と、案内人について岩を見に来たのでした。

<写真は岩戸神社から国見岩に上るところ>

本宮山スカイラインを利用して国見岩に近い広場まで行った。勝手に本宮山スカイラインは有料だと思い込んでいたが、今は無料なんだそうだ。広場から山の上の方に大きな電波塔のようなものが見えた。足元にはシカのフンのようなものがポロポロしていた。

 

歩くコースは「女道」だったが、スリル満点。ここには、どこに行っちゃうのか分からないような子供は連れてこない方が良いし、何人かで遊びに行くと「はしゃぎ過ぎるようなお調子者」も連れてこない方が良いし、一人で来るのも宜しくない気がする。危険がどんなものか分かっていて、高い所から下が見下ろせるのは恐ろしいと分かりながら慎重に歩ける人が連れ立って来るなら良いかなと思う。

 

磐座(いわくら)というのは国見岩の天辺の部分を言う。この下に岩本体がずどんとある。そして、そのずっと下に岩戸神社がある。女道を下る階段や手すりは整備されているから、下が見えて恐ろしくても降りて行けた。何人かで「怖いね、怖いね」と言いながら階段を降りていくのが健全なスリルの楽しみ方だと思うので、スリルからしばらく離れている分別のある大人にオススメだ。

 

上の国見岩が男を表し、下の岩の割れ目にある岩戸神社が女を意味しているそうで、この2つをセットにして大磐座と呼ばれているらしい。空気が澄んでいて、静かで良い所。スピリチュアルな事は分からないけれど、大昔の人が大切にしていたのが分かるような場所だった。また行きたいと思う。

<磐座から広場に戻る森の中の階段>
 

author:1230fan, category:東三河, 22:37
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豊田市 まさかここに信長さんの肖像画

世間に知られた裃姿の「織田信長」の肖像画。これがどこにあるか?なんて考えた事はなかった。

 

昨年運転中に見かけた「豊田市郷土資料館」。気まぐれに立ち寄り、展示品を見て回った。そしたら、あったんだ、「信長さんのあの肖像画のレプリカ」が。資料館を訪れた人間は私だけ。職員の方がずっと付きっ切りで案内して下さっていた。私はその肖像画の前に立って「どうして、これがここにあるのですか??」と指さした。

「長興寺(ちょうこうじ)さんにあるからです」

「え? 長興寺?」

「ええ、豊田市のお寺です」

「はぁ〜?↗(語尾上がり気味)」京都じゃないの?豊田にあるの?

私の反応が凄いせいか、職員の方はとっておきのお話をして下さった。

何年も前のある日、ガラス越しにこの肖像画を見つめる男性がいた。声をかけると、その男性、こう言ったそうだ。

「私の先祖がこの絵を長興寺に寄進したんです」

「はぁ〜!↗(語尾上がり気味)」職員さんは驚嘆。そして言った。

「余語さんですか?」

「そうです」

信長の肖像画は信長の家臣で衣(ころも)城代の余語正勝が信長の一周忌をこのお寺で行った時に寄進したものだった。

調べてみると、1567年に信長はこの長興寺をどこかの城だと誤解して燃やしてしまったそうだ。で、信長の死後1583年に余語さんが絵を寄進して、ここで一周忌をしたんだそうだ。確か何かの記述に「報恩のため」に寄進したというようなことが書いてあったような、、。正直、自分たちが燃やしてしまったお寺で法要?お坊さんはどう思ったんだろう?と思うが、ともかくそういう事らしい。

長興寺は矢作川沿いにある。上:サッカー場が遠くに。下:岡崎方向

私が訪ねたのは2019年1月11日のお昼頃。本堂の右手にある平屋の建物の玄関に紫色の幕がかけてあった。私は腹ペコだったので、「もしかして、ここで精進料理でも食べられるのかなぁ〜?」と遠くから覗いていた。

一人の男性が出てこられたので、「すいません、今日は何かやってらっしゃるんですか?」と昼食にありつきたい下心から訊いてみた。すると「今日は684年前の開山祭で檀家が全部集まる日なんですよ」と言われた。

「檀家さんが全部ですか。そうですか。ありがとうございました」

良かった、「あそこはお食事処ですか?」と聞かなくて。。

この日にたまたま、ここに来た事がなんだか嬉しかった。

 

*ちなみに肖像画はお寺では見ることが出来ないので豊田市郷土資料館でレプリカを楽しんで下さい。

author:1230fan, category:三河, 22:51
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